居合だましい

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第2話 序章『初雪』

ととさま。の勝負、わたしもいっしょにいきたいです」
「お前にはまだ早い。もう少し大人になったら、必ず連れて行ってやるからな」
「きっとですよ」
「あぁ、約束だ」
「うんと強くなって、父さまが負けたら、あだをとってみせます」
「まぁ、そんな言葉、誰に教わったのでしょう」

菅野すがのは目を丸くする。
数馬かずまの後ろを歩いていた三郎が、きゅうっと背を丸めた。

「……三郎、あなたですね」
「へぇ、すんません、へぇ」

まゆを下げ、小さくなった三郎が、なんだかとても可笑おかしい。
皆が声を出して笑った。

「三郎、今宵こよいはお前も先に休んでいなさい。私一人で大丈夫だ」
「へぇ、だんなさま」
「明日は屋敷の雪囲いを急がねばな。今年はいつもより雪が早いかもしれない」
「へぇ」

民治丸たみじまるたちは屋敷を通り過ぎ、一本松の前で、父を見送った。
一本松を左に曲がり、明神みょうじんの森を奥へ入った先に明神さまの神社がある。
民治丸は、母と二人、父の背が見えなくなるまで見送った。
父の足取りは、弾むように軽やかだ。
一度だけ振り返ってくれたとき、腰に下げた矢立やたてがきらりと光った。

細かな細工が施してある矢立は、数馬が京にいた際、手に入れたものだった。
歌をんだり、絵を描くことが大好きだったので、筆も矢立もそれは大事にした。
本当は、刀を持つより筆を持つほうが性に合っている……菅野の前では、よくそんなことをこぼす数馬である。

民治丸もいつも墨の匂いのする父の手が大好きだった。
近所の子たちに、お前の父は刀の振り方を知らないのではないかと馬鹿にされたこともある。
だが、民治丸は怒りもしなかった。
自分もいつか父のようなみやびな人間になりたいと、心から願っていたからだ。
その夜、寒さは骨身に染みるようだった。
父を待つ間、民治丸は掻巻布団かいまきぶとんを鼻までかぶり、暖をとっていた。
あれやこれやと考えているうちに、つい、うとうとしてしまう。
「もう先に休みましょう」という母の言葉が、もう夢の中のように聞こえる。
もう眠ろう──と思った瞬間、ふと、父の匂いがしたような気がした。


翌朝は、寒さで目が覚めた。
鼻の頭が冷たく、吐く息が白い。
思いっきり深呼吸してみると、今度こそ雪の匂いがした。

「ほら! ほら、ほら!」

飛び起き、障子しょうじを開けると、庭にうっすらと白いものが積もっていた。
民治丸は母のもとへ駆けた。
母はすでに身支度みじたくを整え、かまどの前にいた。

かかさま、雪です、雪!」
「お前のいう通りでしたね。はて、困りました。冬支度ふゆじたくが間に合いません」

鍋から勢いよく湯気ゆげが立ち、玄米の甘く香ばしい香りがたちこめている。
菅野は鍋に耳を寄せ、まきを減らし、火を弱めた。

「んでも、まだ、根雪ねゆきにはならねぇべ」
「根雪にはならないでしょう」
「……あの……」
「ならねぇべ、ではありません。ととさまにしかられますよ」
「……すみません。あれ、ととさまは?」
「昨夜はお帰りになりませんでした。雪が降ったので神主さまのところへ泊まったのでしょう」

屋敷から林崎明神までは、ほんの6町(約650メートル)ほど。
だが、神社までの道は、明神の森と呼ばれる深い樹々に囲まれており、ひとたび雪が降れば足元が危ない。
昨夜はまさか、雪が降るとは思わなかった。
雪わらじの備えもないまま、父は神主さまと碁を打ちに行ったのだ。

板の間には、母がそろえたであろう二つの雪わらじが並んでいた。
大きなものと小さなもの、小さなほうは新しい。

かかさま、これはわたしのですか?」
「そうです。春までつかっていたものは、もう入らないでしょう。どんどん大きくなるがらねぇ」
「わぁ、ちょうどです、やんばい(良い具合)だぁ」

足をとんとんと鳴らし、くるりと回ってみせる。
ほんとうに、ぴったりだった。

ととさまをむかえにいってきます!」
「もうすぐ戻られるでしょうから、少し待ちなさい」
「んだって、今迎えに行けば、ちょうど炊き立ての朝餉が食べられます!」
「これ、お待ちなさい!」

母の言うこともきかず、民治丸は勢いよく、外へ飛び出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

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外に出て民治丸は驚いた。
昨日までの景色が嘘のように、たった一晩で別世界になっていたのだ。
まだ緑の残る地面には、綿のような白い雪が薄くかぶり、草花が寒そうに凍えている。
民治丸は、狗尾草えのころぐさの頭に積もった雪を払い、一本引き抜いた。
ぶんぶんと振り回しながら、新しい雪わらじで歩く。
積もったばかりのやわらかい雪を踏みしめていくと、心がはずんだ。
思い切り足を振り、薄く積もった雪をり上げる。
細かな雪が、粉のようにった。

初雪をかぶった明神の森は美しかった。
細い石畳いしだたみの小道を、足跡をつけながら進む。
自分の前に足跡はなく、後ろにてんてんとついてくる。
あと少し、もうすぐ石段が見えてくる。
そこを上れば、明神さまだ。

視界のはしに、ふと、赤茶色いものが映った。
あれは紅葉の葉だろうか……民治丸は目をこらす。
そのとき、頭上で鳥が短く鳴いた。
不吉な泣き声だった。

民治丸は走った。
近づくと、道端に、何か大きなかたまりがうずくまっている。
雪の下からけて見えるその着物に、見覚えがあった。
そして、この、美しい矢立──。

「…………とと……さま?」

民治丸は、父のほほに積もった雪をはらった。
青白く、冷たい頬だった。

「父さま、起きてください。父さま」

何度呼びかけても、父の体は動かない。
気が付くと、血で手が赤く染まっていた。
雪の下から、赤茶色の紅葉が透けて見えていると思ったものは、辺りに飛び散った父の血だった。

どれぐらい、そこにそうしていたのだろう。
民治丸は動けなかった。
神主さまに抱きあげられるまで、民治丸は冷たい雪の中にいた。
父の亡骸なきがらとともにいた。

(つづく)