居合だましい

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第4話 第一章『形見草かたみぐさ

あの日から、民治丸たみじまるの暮らしは一変した。
母は相変わらず美しかったが、日に日にせて、苦労のしわが刻まれていくのが分かった。
無理もない。
当主のいない家にはろくは出ない、実質、浅野家は断絶している。
お家の再興さいこうのためには、数馬の嫡男ちゃくなん・民治丸が元服げんぷくした後、見事みごとあだを討ち、本懐ほんかいをとげたことを楯岡たておかの殿様に示すしかない。
それがいかに困難なことであるかは、当の本人たちが一番分かっていた。

民治丸は、波立つ気持ちを踏みつけるように歩いた。
剣術の師匠である東根刑部太夫ひがしねぎょうぶだゆうの屋敷とは、反対の方へ進んでいた。
三郎が追いかけてきているのは、ちゃんと分かっている。
ひょこひょことついてくる気配を背中に感じながら、民治丸は精一杯強がって歩く。
いつものことであった。

「ふぅ、やっと追いついだ。足、速いなっす」
「ついでくるな、三郎」
「なぁ、民治丸さま。いまからでもいいがら、刑部さまのところさ、いぐべ」
「やんだ」
「オラもいっしょにいぐがら。な? はい、これ。大事なものだべ」

民治丸は仏頂面ぶっちょうづらで、木刀を受け取った。
でも、刑部の屋敷のほうへは足を向けようとしない。
三郎が腕をとり、方向を変えようとしても、振り切って違う方へと進むのだ。
仕方なく、三郎もあとをついていく。
すぐ先に、明神みょうじんの森が見えてきた。

「民治丸さま。いづまで、ふぐれでるんだ」
「ふぐれでなんか、いね」
菅野すがのさまにも、あどでちゃんとあやまるべな」
「おれは、謝らね」
「もぉ、こまったオボゴ(子供)だなぁ」
「おれはオボゴじゃねぇ!」

やれやれというように、三郎は頭を振った。
その三日月のような目が左右に揺れるのを見ていると、吹き出しそうになる。
この七年間、主のいない浅野家は、寄り添うように支え合ってきた。

そのどんな場面にも、三郎が一緒にいた。

幼くして大きな宿命を背負わされた民治丸は、それは厳しく育てられた。
まるで人が変わってしまった母に、民治丸は最初、戸惑いもした。
だが、母の悲しみも悔しさも理解できるようになると、そこからはひたすらに、母の願いを叶えようと生きた。
少しでも期待に応えようと、踏ん張ってきたのだ。

だが、近頃の民治丸は迷いの中にいた。
見るもの、触れるもの、すべてに腹が立ち、己が運命まで呪うようになっていた。
いくら真面目に稽古をしても、いっこうに剣の腕は上がらない。
師匠にめられた試しもない。
いつまでたっても一番のチビで、毎日傷だらけ。
ひたすらに貧しく、つらく、寂しい。
こんなはずじゃなかった。昔は違ったのに。
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「すべては父上のせいだ」
「なんてごど言うんだ」
「侍のくせに弱かったから、母上とわたしがこんな目にあうのだ」
「だんなさまは、つよい人だっけよ」
「むざむざと闇討やみうちされた、父上のどこが強いのだ」
「んん……んでも、オラは、だんなさまが、だいすぎだっけ」
「……おれだって……」

三郎とふたりきりでいると、ついこぼしてしまう。
いつもニコニコと笑っていて、何をされても怒らない三郎は「アホの三郎、まぬけの三郎」と、村の子供たちからよく馬鹿ばかにされていた。
働き者で、よく食べ、よく笑う。
こんなにいいやつなのに、村の皆には三郎の良さがなんでわからないんだろうと、民治丸は不思議だった。

菅野は、これまで何度も三郎を実家に帰らせようとした。

「数馬がいない今、あなたが仕える主はもういないのです。実家へ戻れば、畑も田んぼもあるのだから、食べるものには困らないでしょう? ここにいては満足に食べることもかなわないのですよ」

それでも、三郎は決してここを離れようとはしなかった。
ニコニコと笑っているのだった。

「オラは、だんなさまがら、この家を頼まれでるんだ。男ど男の、約束なのよっす」

数馬かずまとの縁をかたくなに守り、朝から晩までよく働いて、菅野を助けた。
三郎がいてくれて本当によかったと、近頃の菅野は感謝を隠さず、口にする。
民治丸も、自分より二十も年上の三郎を、兄のように慕っていた。
この世に生を受けてから、民治丸の近くには、いつも三郎がいたのだ。
彼がいない人生を、民治丸は想像できないだろう。

城中には、数馬のことを気の毒に思うものもいたが、ここぞとばかりに転落を喜ぶ者のほうが多かった。
他所よそもんが、殿様の近くで大きな顔をしているから、ああいう目にうのだ」と。

あの日、数馬は、正面から一太刀ひとたちびせられ絶命していた。
刀はさやに収まっており、つかに手もかかっていなかった。
世間の者たちは、「刀さえ抜けずに正面からられた情けないさむらいだ」と陰口をたたいた。
「侍のくせに絵筆ばかり持っているから刀の振り方を忘れてしまったのだ」と笑う者もいた。
ほんとうは、闇討ちを仕掛けた方……その汚いやりようを、批判するべきなのに。

悔しい、悔しい、悔しい。
そういった大人たちの話も理解できるようになると、民治丸は、ますます何もかもが嫌になった。
何もかも放り出してしまいたくなる気持ちをおさとどめるのもまた、その悔しさである。

そんなとき、民治丸は剣を振った。
木立の中、一人で静かに、剣を振った。
民治丸は、複数の人とともに稽古するのが苦手であった。
心が乱れ、怒りばかりが現れるのだ。
剣の師匠である東根刑部太夫は、いつも民治丸を奮い立たせようとした。

「まだまだまだ! そのような気迫で、父の仇が討てるのか!? そなたのような小さな者が、大男の剣豪にかかっていくには、そんな気迫では到底かなわぬ!」

そう言われるたびに民治丸は、自分が弱くなっていく気がした。
刑部さまの言う、剣豪の大男……それこそまさに、父のかたき坂上主膳さかがみしゅぜんである。

坂上主膳──まだ見たこともない宿敵を思うと、腹の奥の奥が、ぐっと熱くなる。
そして、胸がチクリと痛むのだ。

「おう、民治丸!」

名を呼ばれ、振り返ると、神主さまが立っていた。

「ひさしぶりだな。少しは強くなったのか」
「……神主さま……」

明神みょうじんの森が、ざわざわと揺れていた。

(つづく)次回1月6日更新予定