居合だましい

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第5話 第一章『形見草かたみぐさ

「神主さま! ちょうどがった! 民治丸さまを、ごしゃいで(叱って)けろ! 剣術のけいこ、さぼってばっかりなんだ」
「だまれ、三郎!」

民治丸がにらみつけると、三郎はきゅうっと背中を丸め、一本松の陰に隠れた。
一本松を曲がった先、明神みょうじんの森の奥には、明神さまの神社がある。
竹ぼうきをかついだ神主が、その小道を、するするとこっちに向かってやってきた。
にやにやと笑んでいるその顔を見て、民治丸は目をそらした。

「おぉおぉ、こんなに美しい朝だというのに。おぬしたちは、なにをそう無粋ぶすいな声を出しておるのだ」

相槌あいづちを打つように、風が樹々を揺らす。
森は今年も、あたらしい命に満ちていた。
ちさの木の白い小さな花弁も、まるで季節外れの雪のように揺れている。

「わしはな、今が一年中で一番美しい季節だと思うのだ。そうは思わないか、民治丸」
「……さぁ」
「葉も落ち、茶色く枯れ、死んだようにさえ見えた樹々が、長い間、あの大雪の中で眠る。目が覚めたら、こんな風に見違えるような芽吹きになるのだ。不思議だとは思わぬか」
「……わかりません」
「おぬしの父上もよく、この森を描き留めていらした。覚えておろう?」

民治丸は口をつぐんだまま、神主に背を向けた。
三郎が慌てて、「へぇ、へぇ」と答える。
民治丸が神主と父のことを語り合うには、今少し時間が必要だった。
だが、神主は容赦ようしゃをしない。

「おぬしが何も答えたくないなら、それもかまわん。何をどう突っ張ろうが、勝手にすればよい。おぬしの、その腰に下げてあるものを見せてもらっただけで十分だ」

民治丸は慌てて腰に手を添えた。
そこには、父の形見──美しい矢立やたてがある。
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「ところで、民治丸。今朝は、東根刑部ひがしねぎょうぶさまのお屋敷には行かなくて良いのか?」
「……神主さまには関係ありません」
「めんこくない口のき方だの。民治丸よ、ヒマなら、ちょっと神社に寄っていかんか」
「おれは今、忙しいのです」
「そうか、それは残念だ。頂き物の久持良餅くじらもちがあるのだがなぁ」

三郎が飛び上がり、のどを鳴らす。
久持良餅とは、米を砕いて粉にしたものに水を入れて練り、砂糖やくるみを混ぜて蒸しあげる菓子だ。
できたては甘い餅のよう。
時間が経ち固くなったものは、薄く切って火であぶると、なんともいえず香ばしい。

「す、すこしなら、いっても、いいです」
「そうか、よし。なら、付いてきなさい」

神主は、したり顔で三郎と視線を合わせた。
先をきって明神の森へと進み入る。
民治丸もだまって後をついていく。
石畳を一歩踏むごとに、民治丸の心は重くなった。
この道を通れば、どうしても、あの初雪の日のことが浮かんでしまう。
三人は、命の芽吹きに満ち満ちる森を、黙って進んだ。
もうすぐ石段が見えてくる。
数馬が倒れていた、あの場所だ。

「あ、なんかいる!」

三郎の声にふと見ると、そこには地蔵が立っていた。
穏やかな顔をした、小さな地蔵だった。

「あの日以来、おぬしはあまり神社に来てくれなくなったのでな。わしは寂しいのだ」
「……神主さま……」
「たまにはここに来て、手を合わせてくれないか」

民治丸は素直にうなづくことができなかった。
地蔵を見ているだけで、胸がつぶれそうになる。

「ここで手を合わせていれば、少しは穏やかな気持ちになれるだろうと思ってな」

そう言うと神主は、竹ぼうきで周囲を優しくいた。
地蔵の目が父に似ている──と、民治丸は思った。
いや、もう父の記憶に自信はない。
だけど、地蔵の顔をのぞき込んでいたら、自然と涙がこぼれてきた。
涙とともに、言葉も溢れる。
もう、どうしようもなかった。

「……神主さま……おれは……おれは、なして仇討あだうちなどしなければならないのですか!? もっとふつうに、村の子らと同じように、暮らしていきてぇのに……」

神主は、ひざを折り、顔を近づけて聞いてくれた。
肩に置かれた手が嬉しくて、民治丸は溢れてくるままに思いを伝えた。

「おれはもう、ととさまの顔も、よっくわがんねぇのです……剣で人に向がっていぐのも、ほんとは、おっかねくて、おっかねくて、しかたがないのです……母上は……かかさまはまるで別の人になってしまいました。おれが仇討ちを果たしたら……坂上主膳さかがみしゅぜんを殺すことができたら……もとの母さまに戻るんですかっ」

「お前の母が、なにゆえどんな苦労にも耐えられるのか、考えたことはあるか」

「……母上、が」

「あれほどの美しいお方だ。もう少し楽に生きる道もあろうというのに。誰のほどこしも受けず、誰にもびず、痛々しいほどひたすらに、険しい道をゆく。それはひとえに、おぬしの父の汚名をすすぐためであることは、おぬしが一番よくわかっておろう」

「汚名を、すすぐ」

「坂上主膳を殺すと言ったな。おぬしの母は、はたして、おぬしに人殺しになって欲しいと思っているのか」

民治丸は、ハッとした。
数日前、東根刑部の屋敷で起こった出来事を、神主さまは知っているのかもしれない。
あれは、いつものように、朝稽古あさげいこの途中であった。
民治丸は一人、真剣しんけんを手に、刑部さまにりかかっていったのだ。

(つづく)