居合だましい

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第12話 第一章『形見草かたみぐさ

「母上! しっかり押さえでください!」

「わかっています!」

もう一度、今度は左目のあたりを中心に酒をかける。
再びの悲鳴とともに、三郎の体が跳ね上がった。
はげまし、なだめ、押さえつけ、痛々しいその傷に、今度は軟膏なんこうりこんだ。

「ゔゔぁぁあああ」

「三郎、ごめんな、ごめんな……」

ガマの葉で押さえつけるようにして傷口を塞ぎ、その上から、さらしできつく縛る。
三郎の口から、ぐぅぅという低い息が漏れると、がくりと肩が落ち、再び気を失ってしまった。

「……三郎! おい、三郎!」

民治丸が懸命に呼び戻そうとするも、返事はない。
菅野も祈るように、手を合わせた。
しばらく待っても、三郎は目を覚まさなかった。
小さな呼吸で、胸がかすかに上下しているだけだ。

「どうして……どうしてこんなことに」

「ぜんぶ、おれのせいです」

理由わけを聞いているのです。三郎はいったい誰にやられたのですか? どうしてこんな目にわなければならなかったのですか?」

母の声が、冷たい板の間に響く。
その悲しみと怒りに満ちた声を、民治丸は受け止めた。

「ぜんぶ、おれが悪いのです……」

一つずつ、胸に詰まったものを取り出すように、小さな声で語り出す。
そんな民治丸の告白を、うなづきもせず、泣きもせず、菅野はただみしめるように聞いた。

──朝、剣術の稽古をさぼり、明神の森へ行ったこと。
父上に似た目の、小さなお地蔵さまがあったこと。
神主さまに、「好きなように生きればいい」と言われたこと。
過日、稽古中に刑部ぎょうぶさまに真剣を向けてしまったこと。
お前は仇討ちがしたいのか、単なる人殺しになりたいのか……そう問われたこと。
まだ出ぬ答え、そして迷い。
ぜんぶ抱えたうえで、どうしても今日、刑部さまのところへ行かなくてはと思ったこと。
刑部さまの屋敷に向かう途中、稽古帰りの門下生たちに取り囲まれたこと。
その中の一人に、真剣を向けられたこと。
三郎が身をていして自分をかばってくれたこと──。

「どうして、こうなるまえに退かなかったのですか」

「逃げたくなかったのです」

「……おまえという子は……」

そういったきり、菅野は何も言わない。
ただじっと、祈るように三郎の顔を見ていた。
民治丸もだまって、三郎の傍にいた。

どのぐらいそうやっていただろう。
ゆらゆらと縁側に西日が差し込んできた頃、三郎の手が、ぴくりと動いた。

「三郎っ!」

小さな唸り声と同時に、右の眉も動く。
三郎の右目がゆっくりと開いた。

「……三郎! わかりますか、三郎!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
まだ焦点が合わないながらも、その瞳にはしっかりと命の光が宿っていた。
唇も、何かを言いたそうにひくひくとしている。
菅野は耳を寄せた。

「なんですか、三郎? どこか辛いのですか?」

「……くじらもぢ……どごさいったべ……」

何のことやら分からない菅野に、今朝ほど神主さまから分けて頂いたことを説明すると、菅野は心底あきれた顔で、ほっと胸を撫で下ろした。

「まったく、生きるか死ぬかのときに……目を覚まして最初の言葉が久持くじもち、ですか」

「三郎はとっても楽しみにしていましたから」

「そのような贅沢品ぜいたくひん、久しく口にしていませんからねぇ」

「そういえば、包み、ないなぁ。どごさ落どしてしまったんだべ?」

「民治丸、おまえまでそのようなこと!」

薄く微笑む二人の横で、「はらへった」と三郎がつぶやいた。
菅野の目に、安堵あんどの涙がにじんだ。


それから半時(一時間)ほど後。
質素な継ぎはぎだらけの屋敷を、濃い夕闇が包みこむ。
長い一日が終わろうとしていた。

三郎は、少しだけかゆを口にした後、眠ってしまった。
ガマの葉をそっとはがし、傷口を見る。
血もなんとか止まったようだった。
この辺りでは見たこともない無色透明な酒と、貝殻に入った傷薬のおかげだろう。
今更ながら、川べりで出会ったあの父娘に感謝が溢れた。

「そのお方に、御礼をしなければいけませんね」

「はい母上さま。この酒瓶も返さねば」

「はて、困りました。三郎の命の恩人ですから、どんなお礼をも差し上げたいですが……うちにはこれといって人様が喜びそうなものは残っていません」

そう言って菅野は、家中に視線を巡らせた。
金目かねめのものは、もう残っていない。
いや、本当は、民治丸が仇討ちの旅に出るときのためにと、爪に火をともすように貯めてきた小銭があるのだが、そこには手をつけたくない。
数馬の死後、いさぎよいぐらいにほどこしを受けず生きてきた菅野は、折に触れ、嫁入り道具や数馬の形見などを手放し食いつないだ。
自ら畑を耕し、山に入り、つつましく、つつましく生きても、毎日どうやって腹をふさぐか思案せねばならぬ状態だった。
それでも、恩人へお礼は差し上げたい。
やはり、干した山菜がいいだろうか、畑のねぎがいいだろうか、秋になったら山ぶどうの汁をお分けしようか……菅野は、あれこれ考えている。
そんな母の顔を見ていて、民治丸は、あることを思い出した。

「そういえば、そのお方は、母上さまのことを知っておられるようでした」

「わたくしのことを、ですか。……名はなんと?」

「わかりません。でも、娘は、りんといいます」

「……りん」

民治丸は、出会った父娘の風体を、記憶の及ぶ限りに探っていった。
だが、菅野は何も心当たりがないようだった。

「三沢川のほとりを、背中炙せなかあぶりとうげのほうへ……では、荒宿村あらじゅくむらのほうですね」

「はい。そこで父娘二人で暮らしているようでした」

(もしや、数馬の縁の者……)

菅野は、そう思いつつも、言葉にしない。
静かに、夜は更けていった。

(つづく)