居合だましい

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第13話 第一章『形見草かたみぐさ

翌朝、民治丸は両手いっぱいに、お礼の品を抱えて家を出た。
どれも大したものではなかったけれど、今できる精一杯を菅野は民治丸に託した。

民治丸は仙台道を三沢川方面へ進んだ。
昨日はたしか、寿光寺の手前あたりから左に道を外れ、川辺へと向かった気がする。
こしきだけの見える方角を頼りに、道なき道に分け入っていく。
りんの家までは、半時(1時間)ほどで着くと思っていた。
だが、行けども、行けども、辿り着かない。
必死で記憶をたどり、川べりを一歩ずつ進むと、草木はいっそう生い茂り、頼りの甑岳も見えなくなった。

(ほんとうに、こっちで大丈夫なんだべが)

昨日は夢中で走ったせいだろう、距離感がおかしくなっている。
そろそろ本気で不安になった頃、突然目の前が開け、例の民家が現れた。

「お、きたな」

あごひげの男が、民治丸の来訪を予期していたかのように立っていた。

昨日きんなはありがとさまでした。これ、ほんの御礼です。酒瓶の中は空ですが……」

「かえって悪いな。こんなにいっぺぇ。で、傷はどうだ?」

「おかげさまで、血は止まりました」

「そいつぁ、がった」

顎髭の男は、言い終わる前に後ろを向き、「おい、りん! きたぞ!」と叫んだ。
奥からすぐに「わがった、もってぐ!」というりんの声が返ってくる。
ほどなく、栗鼠りすのように軽やかに、りんが、すすすっと現れた。

「いらっしゃい。……はい、これ」

唇をきゅっと上げ、りんが得意げに微笑む。
差し出したその手には、父の形見の矢立があった。

「……これは……」

「大倉堤で見つけた」

「どうしておれのだって……」

りんは、顎髭の男を見た。
その視線を引き継ぐように、男ははっきりと答えた。

「この矢立は、数馬のもの。いや、数馬からお前が引き継いだものだろう?」

「父上を御存じなのですか?!」

「おまえの父は、ここらでは有名人ではないか」

それは確かにそうだが、この矢立を見ただけで父上のそれと分かる者はそうはいない。

(この男は何者なのだ?)

民治丸は神経を張り、腹に力を込める。
もしかしたらこの男は、父の死に、あの闇討ちに、関係している人間かもしれない。

「心配するな。おれはただの百姓だ。数馬の死になど関わってはおらん」

まるで民治丸の心を見透かすように、顎髭の男は言った。

「あなたさまは、母上のことも知っていた。いったい、何者なのですか?」

「んだがら、ただの百姓だって言ってるべ」

「おれには分かります。あなたはこのあたりの人間ではない。昨日の酒といい、薬といい、このあたりでは見かけぬものばかりでした」
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男はもう、民治丸の質問には答えなかった。
りんの耳元で何やら話し、奥へと消えた。

「待ってください! 逃げるのですか?!」

追いかけようとした民治丸の腕を、りんがつかんだ。
ふりほどこうとしても、できない。
細く小さな手なのに、びっくりするほど力があり、こちらが必死で動けば動くほど、吸い付くように離れない。
不思議な感覚だった。
ついに民治丸はあらがうのをやめ、力を抜いた。
愉快そうに笑っているりんを、思い切りにらみつけて。

「父ちゃんは、おまえの味方だよ」

「え」

「今日だって、おまえが来たら渡してやれって、もちついで待ってだんだ。民治丸はきっと、またここに来るべがら、って」

「餅って」

「ほら、これ」

りんが指さす方を見ると、なんとも美味そうな餅が、のしてある。
民治丸はたまらず唾をのんだ。

「待ってろ。いま、切り分げでやるがらな」

「こ、こだな高価なもの、もらう訳にいがね」

「あぁ、いいなだ。これは“かぶだれ餅”っていってな」

「かぶだれ……餅?」

「うん、一回、川さ落ぢで、濡れでしまった米でつくるんだ。この辺りは、川下りの難所も多いべ? 米俵こめだわら積んだ船が、たまに転覆してしまうのよ。父ちゃんたちむらしゅうが助けるんだげど、そうするど、拾ってあげた人が、分け前をもらえる仕組みなんだ」

「川に落ちた米……」

「んだ。一回濡れてしまった米は、早ぐ炊かないど、かぷけるべ? んだがら、さっさど炊いで、餅にして干しておぐの。それが、かぶたれ餅」

言いながらも、りんは手際よく餅を切り分けていく。
包丁が刺さる度に、高い位置で結んだ黒髪と茜色の組紐が、さらさらと揺れた。
触れてみたい──ふと、民治丸は思う。

「笹の葉っぱ、取ってこい。それにくるんで持ってげばいいべ」

「あ、あぁ……」

民治丸は言われるままに、ささやぶに入る。
一枚、一枚、笹の若葉をむしりながら、奥へと進んだ。
あんなご馳走を持って帰ったら、母上はなんと言うだろう。
「お礼に行って、それ以上の品を頂いて帰ってくるとは!」そんな怒る顔が目に浮かぶ。

(んでも、三郎は喜ぶぞ)

三郎……あの痛々しい笑顔が目に浮かび、民治丸の胸がずきんと音を立てる。
命はなんとかつないだが、きっと左目はダメだろう。
一生片目で生きていくのか。

(ぜんぶ、おれのせいだ……おれが弱かったから)

民治丸は、そっと腰に手を置いた。
そこには、父の形見の矢立がある。
なつかしく、温かい感触だ。

(もう二度と、これを手放すわけにはいかない。負けたくない)

民治丸は唇を噛み、視線を上げた。
ふと、白い花々が目に留まる。
凛と立つ花弁を、ひとつひとつたどっていくと、目の前の湿地帯に、ミズバショウの群生が広がっていた。
民治丸は息を呑む。
まるで、この世とあの世をつないでいるかのような美しさだ。

形見かたみぐさっていうんだ」

振り向くと、りんが立っていた。
どこか寂し気な顔で、その美しい花々を見ている。

「形見……草」

「うん。この花は、父ちゃんとおれにとっての形見草なんだ。形見草は、その人によって皆、違うがらな」

「なして?」

「草花に、会えなくなった人の姿形を重ねて見るから形見草……民治丸、おまえにもあるべ?」

「おれは……」

うまく答えられない民治丸に、りんがそっと寄り添った。
一瞬、長い髪が民治丸の頬をなで、どきりとする。

「お、おれの形見草は……なんだべな。それは分がらねぇけど、ととさまならきっと……」

「きっと?」

「この景色を描き留めているだろうってことは、分がる」

「おまえも、描いでみればいいっちゃ」

「え?」

いたずらっぽく微笑む栗皮色の瞳が、すぐ横にあった。
民治丸の心臓が、どくんと音を立て、跳ねた。

(つづく)