居合だましい

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第14話 第二章『目を閉じて見えた光』

その朝、民治丸はまだ薄暗いうちに家を出た。
かまどの前に立つ母に、「稽古に行ってきます」と告げた時、菅野は一瞬びくりとし、「行ってきなさい」とだけ言葉を返した。

草鞋わらじの紐を結んでいる間、布団の中から三郎の小さな声が聞こえたが、民治丸は顔を向けなかった。
ただ、心の中で「大丈夫だ、心配するな」と念じ、家を出た。
引き戸を開けたとたん、新緑の匂いが透明な風に乗って入り込んでくる。
今日も良い天気になりそうだ。

あの日から、三日が過ぎた。
額と左目を斬られた三郎は、まだ当分は床上げできそうになかった。
だが、青白かった頬も日に日に赤みが差し、目にも力が入ってきている。
菅野が工面して精のつくものを食べさせているおかげだろう。
少しずつだが、三郎はちゃんと食事を口にした。
木のさじを使い口元まで粥を運ぶと、恥ずかしそうに口を開ける。
その顔を見ていると、たまらなく愛しく、たまらなく申し訳なくなった。

この三日の間、村は静かなものだった。
三郎を斬ったあの年嵩の青年も、その家の者からも、何の音沙汰もない。
このまま何もなかったことにしてやり過ごすつもりなのだろうか。

あのとき一緒だった取り巻きの連中も、大倉堤でのできごとを、大人たちに語った者はいないのだろう。
丸腰の相手に本身を抜いたとあれば、武士の名折れ。
まして、無抵抗の三郎を斬りつけたとあっては、お家を巻き込む大騒動になるやもしれぬ。
年嵩の青年は、きっと周囲に口止めをしたはず。

(卑怯者め。おれは許さない)

民治丸も、あの日のことは誰にも話していない。
いや、菅野には話したが、具体的に誰がやったかを伝えることはしなかった。
今の自分が騒ぎ立てたとして何になろう。
さらに悔しい思いをすることになるのは目に見えていた。

(三郎の仇は、きっとおれが討つ)

静かな決意を胸に、民治丸は仙台道を進んだ。
向かうは、一路、東根刑部の屋敷。
とはいえ、具体的に何をどうしてやるつもりなのか、民治丸は定めきれずにいる。
あの年嵩の男と一騎打ちを申し出ようか。
帰り道を待ち伏せして、木刀で殴りこむか。
……それとも。

うなされている三郎の顔を見ていると、決まって、どす黒い怒りがこみ上げてきた。
「あいつを同じめに遭わせてやりたい!」という思いがふつふつと沸き、真剣で相手の骨を砕く己の姿さえ浮かんだ。
だが、目を覚ました三郎と対話しているときは、「あいつを斬ったら、三郎はどんな顔をするだろう」と考えてしまう。喜んでくれる顔がどうしても浮かばないのだ。

(はたして、仇討ちとは何なのか。誰のためのものなのか)
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自問自答しながら、民治丸は歩いた。
そして、はたと気が付いた。
父・数馬の汚名をすすぐため、幼き頃より一心不乱に仇討ちの道を進んでいたはずなのに、民治丸にとって実は、ふわふわとした実態を持たぬ感情でしかなかったことに。
むりもない。
いまだ、仇討ち相手の姿かたちも知らず、父の死の真相も分からずにいるのだ。
だがここへきて、皮肉にも、民治丸は初めて“仇討ち”というものを、現実味をもって捉えることができた。
最愛の友の、一生ぬぐえぬ傷をもって。

(おれは、卑怯者にだけはなりたくない)

何ができるのか、何をやるべきか、分からない。
だけど、歩みを進めるうちに、ひとつの答えだけは見えてきた。

(卑怯なことは、せぬ。父と、三郎の名にかけて)

木刀を握る手に力がこもる。
仙台道を左に折れ、羽州街道までの連絡道へと入った。
通いなれた道だ。

しろかきを終え、たゆたゆと水を張った田んぼが美しい。
緑色の稲苗がちょこんと芽を出し、そろって風に揺れていた。
何があってもなくても、季節はしっかりと流れていることを、目に映るものたちは教えてくれる。

朝露に濡れる道を、一歩一歩、踏みしめるごとに、民治丸の気持ちは高まっていった。
急く心を静めるように、わざとゆっくりと歩いた。

羽州街道を右へ曲がり、湯沢村を過ぎる。
しばしの後、竹林に抱かれるような東根刑部太夫の屋敷が見えてきた。

「えいっ、えいっ、えいっ」

今朝も、少年たちの朝稽古の気合が、外まで響いている。
この中に、あの三郎を斬った青年もいるはずだった。

民治丸は門の前に立った。
大きく息を吸い込み、深く吐く。
一度、天を仰ぎ、門をくぐった。

「失礼いたす!」

素振りの声が一斉に止む。
少年たちの数、およそ二十数名。
若竹のような瞳が、一斉に民治丸を捉えた。

(つづく)