居合だましい

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第23話 第二章『目を閉じて見える光』

「驚かせてすまなかった。なに、怪しい者ではない」

菅野すがのの疑心に満ちた視線を受け、男は言った。
総髪そうはつ顎髭あごひげ葡萄茶えびちゃ小袖こそでは古く所々ほつれている。
だが、もとは仕立ての良い品物に見えた。
佇まいはとても百姓には見えぬ。
だが、城勤しろづとめにも見えぬ。
菅野はこの男の生業なりわいがまったく想像できなかった。

「この岩魚いわなは、あなたさまが?」

「ん? ……あぁ、昨日の昼に山ほど獲れたので、近所に配って歩いていた。よかったら食ってくれ」

「近所? あなたさまは、この辺りでは見かけぬお顔のようですが」

「……まいったな」

顎髭の男は、そう言って戸口から離れていく。
菅野も慌てて外へ出た。

「あなたさまは一体何者なのですか?」

男は答えない。
いや、答えようかどうしようか逡巡しゅんじゅんしているように見える。
菅野は思い切って男の前に立ち、行く先をふさいだ。

「これまでの食べ物も、あなたさまが?」

「……あぁ、あれはおれじゃない。娘に持たせたものだ」

「もしや、おりんさんという方では?」

「……そうだ」

「あぁ、やっぱり! あなたさまでしたか! なんと御礼を申し上げればよいのか……あなた方親子に私どもは救われたのです。三郎の命の恩人──本当に、本当に、ありがとさまでございます」

深く腰を折る菅野を見て、顎髭の男は頭を搔いている。
顔の前で手の平をひらひらとさせ、なぁんも、と答えた。

「それより、傷はどうだ? 少しは良くなったのか?」

「はい、おかげさまで傷口はふさがったようです。ただ、まだふらふらとしていて、うまく力が入らぬようなのです。あれだけの血を流したのです、無理もないことでございましょう」

「目はどうだ? やはり、開かぬのか?」

「……はい……」

うなだれて首を振る菅野を見て、男は険しい顔になる。
その黒く陰った瞳を、菅野は真っすぐに見た。
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「間違っていたら申し訳ございません。あなたさまはもしや……小柳寿太郎じゅたろうさまではございませんか?」

男の黒目がわずかに動いた。
だが、答えない。
菅野は言葉を続ける。

「生前、数馬がよく話してくれました。京の都で近衛このえの士として朝廷にお仕えしていた時、無二の親友がいたのだと。ごたごたに巻き込まれ都を離れることになったときも、そのお方と共に諸国を旅したそうな」

男は何も言わなかった。
だが、瞳に親しみがにじんでくるのが分かった。

「数馬は、そのお方のことを、じゅた、じゅた……と。それは楽し気に、親しみを込めてそう呼んでおりました」

「……数馬が」

男の口から、懐かしそうな響きが漏れる。
今、たしかに数馬の名を呼んだ。

「やはり、あなたさまは」

「いかにも。それがしは小柳寿太郎と申す者。────なぁんて、おれはなぁ、もう、ただの寿太郎だ。苗字など、とっくの昔に忘れてしまったぁ」

顎髭の男……小柳寿太郎は、カラカラと笑った。
大きな笑顔だ。
目尻に寄った笑い皺が、どこか数馬を思わせて、菅野はこみ上げるものがある。

「あの人が生きていれば、どんなに喜んだことでしょう」

「菅野どの。数馬があのような目に遭ってから、長い年月、お悔みも言わず失礼なことをした」

「いえ、とんでもございません。でもまさか、あの寿太郎さまがお近くに住んでいらしたとは……数馬も存じ上げなかったのでしょうか?」

「それは、まあ、いろいろある」

寿太郎は視線を外し、遠くを見ている。
あきらかに触れられたくない話題のようだった。

(つづく)