居合だましい

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第25話 第二章『目を閉じて見える光』


朝が来た。
まばゆい朝だ。

拝殿の天井から光の筋が差し込んでいる。
そのひとつに頬を射され、民治丸は目覚めた。

なぜだか、体のあちこちがきしむように痛い。
板敷いたじきの上で眠ったせいか、緊張して強張こわばっていたせいか。
民治丸は重い体を引きずるようにして立ち上がった。
ゆっくりと拝殿の戸を開いてみる。
ぎぃぃという音とともに、圧倒的な光とむせかえるような湿った熱が入り込んできて、民治丸の体を包んだ。

(あぁ、朝の匂いだ)

得も言われぬ安心感に包まれて、気を抜くとまた涙が出そうになる。
そこにはたしかに、朝があった。
そんなあたり前のことを、こんなにもありがたく感じている自分に民治丸は驚く。
拝殿の戸をすべて開け放った民治丸は、天に向かって叫んだ。

「二日目の朝、ありがどさまです!」

拝殿の外、えんの端に、神主が置いてくれたであろう粥の盆を見つけた。
まだ湯気の立つ椀を押し戴き、民治丸は頭を下げる。
甘い米の香りを、朝の空気と共に、胸いっぱいに吸い込む。
自然と頬が緩んだ。

「いただきます!」

はやる心をなだめつつ、ゆっくりと、一口、一口、噛みしめる。
一口ごとに、体中の血管がじんわり温かくなるような気がして、民治丸は不思議だった。
今、口から入ったものが、そのまま体の中に染みてゆくのが分かるのだ。
それは初めての経験だった。
人の体は、口から取り入れるもので作られている──そう教えてくれたのは、はたして誰だったか。
どんどん腹に力が入っていくのを感じながら、最後は舐めるように頂いた。

「ごちそうさまでした!」

一礼し、立ち上がる。
民治丸は一つ伸びをすると、木刀を手に裏山に向かって駆け出した。
少し迷ったが、拝殿の戸は開け放ったままにする。
いまここに自分はいない、という神主へのしらせのためであった。


水滴できらめく杉木立の間を、栗鼠りすと追い駆けっこしながら走る。
昨夜の雨のせいか、明神の森は、むせかえるような緑の匂いがした。

「やぁぁぁああっ! とぉぉおっ! ……いででで」

隆起した樹々の根や、垂れ下がる山ぶどうのつるに足をかけられ、つんのめりながらも、なんとか踏ん張る。
走りながら木刀を左右に振り、目の前に迫るものを斬りつけながら走った。
少しでも早く、俊敏に進もうとは思うのだが、頭で思うように体が動かない。
あちこちにぶつかり、濡れた地面に滑り、何度も転びながらも民治丸は駆けた。
そうやって四半刻(約30分)も全力で進むと、水音が聞こえてきた。
清らかな清水がこんこんと湧き出る泉があるのだ。

ここから溢れ出した小さな流れは三沢川へと続き、のちに最上川へと合流する。
大きな流れの小さな始まりのようなこの場所で、民治丸は日々、体を清めることに決めていた。

身に着けているものをすべて脱ぎ、近くの木の枝にかけておく。
誰も見ていないことは分かっているのだが、ふんどしをとるときは、ついキョロキョロしてしまうのが自分でも可笑しかった。
素っ裸になった民治丸は、両の手を胸の前で合わせた。
小さな川魚たちが遊んでいる中へ、足先からゆっくりと入っていく。
汗だくの火照った体にも、その水は冷たすぎ、思わず声が出た。

「んんんん……つめてぇっ!」

民治丸のでっかい声が森にこだまする。
驚いた鳥が、きぃぃっと声を上げ飛び立っていった。
申し訳ないとは思うが、叫ばずにはいられなかった。
叫んでも水の冷たさは変わらないのだが。

清水の中の川魚たちも、突然の侵入者に驚いて右往左往している。
民治丸は、うう……とうなりながら膝まで浸かり、鳥肌を立てながら腰まで浸かり、勢いをつけて肩まで沈んだ。
そうして息を吐けるだけ吐き出すと、ほどなく震えは止まった。
代わりに、さっきつけたばかりの擦り傷が、じんじんとうずき出す。
構わずじっと息をひそめていると、しびれるような冷たさにも徐々に慣れてくる。
ゆっくり十数えて、民治丸は水から上がった。
褌一枚を身に着けると、濡れた体を乾かしながら、民治丸は木刀を持った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

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ところで、明神の森は深い森だ。
神社の御社より奥へは、人はほとんど入っていかないのだと神主は言っていた。
そこは獣たちの領域という訳だ。

(いまここで獣に出くわしたら、ひとたまりもないだろうな)

そう思うと、藪笹がガサリと揺れるたびに、びくっとしてしまう。
そんな自分が恥ずかしかった。

(おれは獣たちの住処を荒らすつもりはない。どうにかして、そのことを伝えられたらいいのだが……)

百日の間、この森を鍛錬の場と決めている。
獣たちの領域であるこの場所に、自分も置いてもらわねばならない。
だったら、どうすればよいのか。

(人であることをやめればいいのだろうか?)

たしかな答えは出ぬままに、民治丸は大切な者たちの顔を、ひとり、ひとり、思い浮かべていった。
そしてそれを、ひとつ、ひとつ、斬り捨てるように木刀を振った。
一太刀ごとに、己が人から遠ざかり、何ものでも無くなるような気がした。

どれほどの間、そうやっていただろう。
ひゅんっ、ひゅんっ、と空気を割く木刀の音が、森の葉擦れに重なっている。
その一定の調子に合わせるように、鳥たちの声も重なる。
民治丸はいつの間にか、誰の顔も浮かばなくなっていた。

──そうだ、森とひとつになるんだ、民治丸──。

ふと、誰かが囁いた気がして、民治丸は木刀を止めた。

(今の声は、いったい……)

初めて聞くような、それでいて懐かしいような、不思議な響きだった。

(つづく)