居合だましい

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第29話 第三章『神が与えし剣』

混乱する頭を振り、民治丸はさきほどの巻物を探した。
拝殿の隅々を見て回ったが、どこにも見当たらない。
まるで、壁に当たった瞬間に吸い込まれてしまったかのように、跡形もなく消えていた。

あらためて、壁の文字を見る。
さっきまで濡れ濡れと光っていた文字は、すでに端から乾き始め、消えかかっている。
民治丸がいつもそうしていたように、水で書かれたもののようだ。

── 手のうちに 叶わばたけを 長くせよ 一寸なれば 一寸の勝 ──

これは一体どういう意味なのか、民治丸は考えた。
刀を長くせよ、ということは分かる。
だが、何ゆえに長い刀を持った方が良いのか。
一寸(約3センチ)長ければ、その長い分だけ“かち”に近づけるという。
長い刀はそれだけ重く、かさばり、扱いが大変だろう。
チビの民治丸にとっては尚更だ。
そんな重くて扱いにくいものを振り回していては、どうしたって振り負ける。
自分より一回りも二回りも大きな相手を斬るためには、むしろ身の丈に合った刀を使うほうが良いのではないか?
考えても、考えても、分からなかった。

水で書かれた文字が乾き、いよいよ消えようとしている。
壁をにらんでいた民治丸は、その文言をまぶたに焼き付けると、壁に背を向け、どっかと座った。
ひとつ大きく息を吐き出し、目を閉じる。
今、民治丸にできるのはこれしかなかった。

(もう一度、あの男に会わねば。……夢の中に入ればきっと……いや、もしかしたら、今この瞬間さえも夢の中かもしれないが)

考えねばならぬこと、確かめねばならぬことは、山ほどあった。
民治丸は、瞼の裏に確かな陽の光を感じながら、深い呼吸を繰り返していく。
こうして百日目が過ぎていった。




百日参籠の最終日、神主は朝から気を揉んでいた。
民治丸の様子がどうもおかしい。
朝に粥を食した気配もなく、森に出掛けた様子もない。
拝殿の扉は昨夜から固く閉ざされたままで、物音ひとつ聞こえないのだ。

(民治丸は今、何をやっているのだ? 食事を摂らぬことなど、今まで一度もなかったのに)

これまでも心配なことは多々あった。
その都度、手を差し伸べたい気持ちを必死でこらえ、民治丸を信じ、神に祈る日々を送ってきた。
だが、今日はどうも様子が違う。
最終日というのに、静かすぎるほど動きがないのだ。
こんなことは初めてだった。
御社の拝殿からは、喜びも、絶望も、何の感情も伝わってはこなかった。
いや、人の気配がしないのだ。

(もしや……倒れて……死んでいるのではあるまいな)

頭に浮かんだ疑念を、すぐに追い払う。
最後の最後に、やつを信じきれないでどうするのだと、神主は己を戒め、社務所に引き返す。
そんなことを何度も繰り返していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
日暮れ前、様子を見に出たときも、粥には手を付けられていなかった。
水を飲んだ様子も、かわやに立った様子さえない。
そしてやはり、人の気配が無かった。

(どうなっておるのだ、民治丸……生きて……どうか生きて、朝を迎えてくれ)

陽が沈むと、あたりは急に温度が下がる。
明神の森から夏はとっくに過ぎ去り、実りの秋を飛び越え、そのまま雪が降り出しそうな気さえする。

神主は、決心したように一度頷き、向拝こうはいを上がっていった。
だが拝殿の扉を開けることはせず、足音を忍ばせながらえんを側面に沿って伝った。
中にいるはずの民治丸の気配を感じ取ろうと、心を澄ます。
やはり、何の気配も感じない。
神主は覚悟を決めたように、そこへ座した。
そっと背中を外壁そとかべにつけ、民治丸に寄り添うように夜空を見上げると、月が完璧な円の形で輝いていた。
これから最後の晩が始まる。

「民治丸よ。今宵こよいはここで、わしも付き合うとしよう」

つぶやいた口元から、真っ白い息が出た。
急に寒さを覚え、あわせを首元までしっかり閉じる。
月の光が、なんだか温かい。
不思議な感覚だった。
やさしい月の光に包まれて、夜は更けていった。


朝靄あさもやかすむ、明神の森。
ゆっくりと明けていく新しい一日。
その美しい始まりを、神主は見ていた。

朝靄が、ゆわんと流れ、拝殿の戸が静かに開いた。
中から、一人の少年が現れる。
いや、もう少年ではない。
真っすぐな瞳の、一人の男が、立っていた。

「……おぉ、民治丸よ!」

「……神主さま……」

「本願成就、成し遂げたのだな」

「……はい」

返事をした瞬間、がくりと体が傾き、神主が慌てて支える。
だがすぐに体勢を立て直し、民治丸は力強く頷いた。

「神主さま、己の求める剣が見えました。すぐにでも稽古に入りたいと存じます」

「そうか、そうか……神はお主に剣をお授け下さったか」

神主に支えられ、向拝の段を一つずつ降りる。
最後の一段を下りたとき、朝靄を裂いて駆けてくる母の姿が見えた。

(つづく)