居合だましい

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第33話 第三章『神が与えし剣』


半分ほど枝葉が落ちた明神の森で、民治丸は今日も稽古けいこをつけてもらっている。

「ちがう、民治丸! 頭で考えるな!」

げきを飛ばす寿太郎の口から、白い息がこぼれた。
赤や黄色の落ち葉じゅうたんは、すっかり凍っていて、踏むと乾いた音がした。
だが、民治丸の頭からは、熱気で湯気がのぼっている。
相手をするりんは、汗ひとついていないというのに。

「相手についていこうと思うな。すでに一体であると思え!」

「……んんっ! くそっ……ふんっ、はっ、はーっ!」

悔しそうな声が明神の森に響く。
一向にうまくいかない民治丸であった。

寿太郎の示した稽古は、こうだ。
りんと右手の甲同志を合わせ、剣で対峙たいじするように向かい合う。
相手がどれだけ腕を動かそうが、その動きに合わせついていけというのだ。
手の甲が絶対に離れないように、体ごと相手に合わせていく稽古だ。

最初、そんなことはさすがに無理だろうと民治丸は小さく抗議した。
手のひらを合わせ、手を握るならまだしも、手の甲では繋ぎようがない。
相手に振り回されたらすぐに離れてしまうだろう。
だったら、やって見せてやると、寿太郎はりんに合図した。
りんは、右手を突き出し、民治丸の前に立った。
迎え討つ民治丸も、手の甲をぴたりと合わせる。
寿太郎から合図がかかった瞬間、民治丸はりんの手をはがしてやろうと、ぶんぶんと乱暴に腕を振り回した。
だが、驚くことにりんは、するするするっとついてきた。
本当に、くっついて離れないのだ。
それでも民治丸は、体ごと後ろに下がったり、急に横に走り出したり、突き出すように手を動かしたり……必死で外そうとする。
だが、どれだけ意地悪く動かそうが、りんの手はぴたりとついてきた。

動揺しているうちに、おかしなことが起こった。
自分が相手を動かしているはずなのに、だんだん、りんに誘導されている気がしてきたのだ。

(なんなんだ、この感覚は)

汗をかきつつ混乱していると、寿太郎の笑い声が聞こえてきた。
民治丸はあきらめたように動きを止めた。

「やられたな、民治丸」

「……はい」

「どうだ、悔しいか。りん一人相手に出来ず、仇討ちも何もないものな」

民治丸は唇を噛んだ。
悔しかったら稽古しろ──寿太郎がそう言う前に、民治丸はりんに頭を下げていた。

「もう一回、頼む!」

「……承知」

小さな体が二つ、弾むように動き出す。
二人の気合が乾いた空気を裂いていくのを見届けると、寿太郎は一人、満足そうに去っていった。
きりりと気持ちの良い、晩秋の一日だった。
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「なぁ、りん。おまえ、手合わせの時、目は、どご見でんのや?」

「え、ぜんぶ」

「ぜんぶ? なんだそりゃ」

りんと二人、帰路を歩きながら、民治丸は頭をふった。
毎日、毎日、分からないことだらけなのだ。

「じゃあ、あんたはどこ見てんの?」

「手だべ、そりゃあ」

「あたしは手なんか見ない」

「手ぇ見でなくちゃ、離れでしまうべ」

「逆だよ。一か所だけ見てたら、すぐに離れてしまうんだ。だから、全体をぼやっと見るの」

「ぼやっとって……」

けんの目と、かんの目のちがいよ」

「ケンとカン?? さっぱり分がらね……」

「もぉー、分かんなくても、やるのよ!」

続けていたら、はっと分かる瞬間がくる──りんはそう言って、民治丸に手を振った。
分かれ道、いや、正確には道とも呼べない森の中を、二人は別々に進む。

森の夜は早い。
少し、急がなければと、民治丸は思う。
毎日、一日があっという間に過ぎていった。

あの日から、寿太郎は、次々に課題を出してくれた。
出来るようになっても、なっていなくても、お構いなしに稽古の中身は増えていった。
雪が降ったら、どうしても行動は制限される。
そのこともあって、急いでいるのだろう。
民治丸も必死についていった。

最初に出された“おうぎの稽古”も続けていた。
やはり難しく、寿太郎から「良し」は一度も出ていない。
最近気づいたことだが、集中して扇を振り続けていると、だんだん頭の奥のほうが静まってくるのが分かった。
不思議な感覚だった。
後頭部にもう一つ目玉が増えたような、いや、耳がうんと良くなったような感覚で、心は冴え、今まで聞こえなかった音が聞こえてくるような気がした。

手製の大きな木刀を使い、落ち葉を斬る稽古もやっている。
秋風が吹き込む明神の森は絶好の稽古場で、舞い落ちる葉を三度斬るという動作をする。
民治丸はこの稽古が好きで、夢中でやっていた。
一度目は抜刀ばっとうで、二度目は右逆袈裟ぎゃくけさで斬り上げて、三度目は左袈裟斬りに。
なんとか二度目までは落ち葉に当てることができたが、どうしても三度目が当たらない。
自分の背丈ほどもある長い木刀を振り回すのに難儀している民治丸であった。

ふと、風を感じ、民治丸は歩みを止めた。
風がざわついている。
薄暗い森で、落ち葉が紙吹雪のように舞い始めた。
視界はすこぶる悪いが、目をらして見る。
民治丸は木刀を構えた。
静かに、心と耳を澄ます。
何を思ったか、民治丸は、目を閉じた。
しばしの後──。

(──見えた!)

素早い抜刀で一度、たしかに葉っぱを捉えた感触がある。
斬り上げて二度目、よし、これもつかんでいる。
最後は袈裟に振り下ろす……カスン! 手応えがあった。

民治丸は目を開けた。
木刀に当たり千切れた枯葉が、目の前にあった。
たくさんの落ち葉のなかにあっても、今、自分が斬りつけたのがどの葉っぱか、民治丸には分かった。
それも不思議な感覚だった。

(見るのではなく、観る……か)

雪の匂いがする──。
今年もまた、初雪が降りるのだ。
刹那せつな、あの日の光景がよみがえる。
父の亡骸を覆っていた、冷たくて柔らかな雪。
曇天どんてんの空を見上げ、民治丸は遠い日の記憶に震える。

(つづく)