居合だましい

MENU

第34話 第三章『神が与えし剣』


昨夜は、予想通り初雪が降りた。
うっすらと雪が覆った森の道を、民治丸は母と共に進む。
行き先は、三沢川べりの屋敷。
そう、寿太郎とりんが住む家だ。

今朝、いつものように稽古けいこに向かおうとする民治丸を、菅野が呼び止めた。
手に風呂敷包みを抱え、「一緒に連れて行ってください」と言ったのだ。
戸惑う民治丸に、菅野はいやなを言わせぬ口調でこう告げた。

「あなたの邪魔はしません。寿太郎さまとお話をしたら一人で戻りますゆえ」

母の真剣な眼差しに、民治丸は理由も問わず頷いた。
三郎が自分もお供すると言い張り一悶着ひともんちゃくあったが、それも一瞬のこと。
不機嫌な三郎に見送られ、二人は曇天どんてんの空の下へ出たのだ。

目的の場所までは、民治丸の足で半刻はんとき(約1時間)ほどかかる。
ただでさえ足元が悪い中、重そうな荷物を持っての遠出になることを民治丸は案じた。
だが、「これは自分で持つ」といって、菅野はきかない。
母の胸に抱かれたものが何であるのか、民治丸は知る由もない。
そして、なぜだか聞いてはいけないような気もした。

母の荒い息が聞こえてくる度、歩調を緩め、後ろを振り返る。
菅野は風呂敷包みをしっかりと抱き、黙々と雪草鞋ゆきわらじを前へ前へと運んでいた。
笠に隠れてその表情は分からない。
だが、笠の下からのぞく薄い唇は、少し苦しそうに開いていた。

前方に、煙が立ち昇っているのが見える。
寿太郎の家はもうすぐだった。

「母上さま、あそこです、煙が見えますか?」

「民治丸、ここからは、別々に参りましょう」

民治丸は歩みを止めた。
母の声に、初冬の森を駆ける、ばんどり(ムササビ)たちの鳴き声も重なる。

「母上さま、今、なんと?」

「別々に参りましょう。まずはそなたが先に行きなさい」

「ですが……」

「私は少しの間を置いてから伺います」

ここまで一緒に来たのに、先に行けとは、どういうことだろう?
訝る民治丸に、菅野は続けた。

「寿太郎さまに、このあと母が訪ねて参るとお伝えするのです。恐れ入りますが、二人きりで少しお話がしたいと」

「わかり……ました」

ここまで来たら道に迷うことは無いだろう──そうは思いつつも、後ろ髪を引かれるような気持ちで母をその場に置いていく。
民治丸の歩みは自然と速くなり、最後は駆けるように寿太郎の家に飛び込んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
しばしの後──。
はたして、寿太郎は家の外に出て待っていた。
頭を下げる菅野に、「若い二人はいつものように森に稽古に出ました」と寿太郎は告げた。
促され、屋敷の中に入る。
まるで小屋のような屋敷は、外から見るよりも頑丈な造りで、父と娘二人で暮らすには十分な広さに思われた。

菅野は、出された湯呑みを脇に寄せた。
代わりに、抱えてきた包みを押し勧めるように差し出す。

「これは?」

「我が家でできる精一杯のことでございます。いつかこのような日が来るものと思い、準備してきました」

てのひらで優しく包みに触れただけで、寿太郎はその中身を理解したようだった。
寿太郎の口が開く前に、菅野は続けた。

「このようなことをお願いできるのは、寿太郎さましかおりませぬ。どうか、これで民治丸の望むものを手に入れてくださいませんか」

「……刀か」

「はい。明神様から授けて頂いた必殺の剣にふさわしい、長い長い刀を、どうか」

菅野は床に額を擦り付け、返事を待っている。
爪に火を点すようにして貯めてきたものだった。
いつか、民治丸が仇討ちの旅に出るときに渡してやろうと思ったものだった。
中を見れば恥ずかしいぐらいの額しか入ってはいない。
これで刀が買えるかどうかも分からない。
それでも、今の菅野はこれを寿太郎に預けるしかなかった。

少しの後、妙に静かな声が菅野の耳に届いた。

「承知いたした。民治丸が望むものを、やつが今必要としている刀を、きっと手に入れてみせます」

「感謝いたします……」

震える声で、菅野は言った。

「もう、十年になるのですか」

「え」

顔を上げた菅野の目に、寿太郎の穏やかな顔が映る。

「あの日も、今日のような寒い日だったと聞いています」

「はい……。初雪が降りた美しい朝でした」

遠い日に思いをせていると、突然、森の奥から気合が聞こえてきた。
森で稽古する二人の声だと気づき、菅野は頬を緩める。

「元気なお嬢さんですね。民治丸はまだいっこうに敵わぬのだとか」

「誰に似たのか、なかなかたくましい女になりました」

なぜだか、ここにいても、二人の様子が見えるようだった。
若い二つの気合きあいが、澄んだ森の空気を裂いていく気配が分かるのだ。
それは不思議な感覚だった。
菅野は目を閉じ、しばし耳を澄ます。
微笑むその顔を、涙が一筋、流れた。

(つづく)