居合だましい

MENU

第35話 第四章『出立』


「民治丸さま、いぐぞっ」

明神の森に三郎の声がこだまする。
左目を布で覆った隻眼せきがんの三郎は、残雪を固く握り、雪玉をつくっていた。
少し離れた所には、腰の刀に手をかけ、静かに構える民治丸がいる。

ひゅんっと三郎の手から雪玉が飛んでいくと、その小さな白い球めがけて、民治丸の腰から刀が抜かれた。
一瞬だった。
抜きざま、刀は雪玉を捉え、粉々に砕かれたそれは白煙のように飛び散った。

三郎はこれを何度も繰り返す。
ときに、左右に大きく振ったり、合図無しで投げ込んだり、高く高く放り投げたり。
都度、民治丸は刀をさやに納め、平静のところから一太刀に賭ける。
我がために神が授けし極意……抜刀術をひたすらに磨いているのだ。


あれから2年の年月が過ぎ、民治丸は数え歳で18になった。
身長も一寸ほど伸びたが、それでもチビには変わりない。

腰に下がっている刀は、とても長い。
まるで引きずって歩いているのではないかと思うほど、民治丸の身の丈には合わなかった。
だがそれは、まさに民治丸が望んでいたもの。

── 手のうちに 叶わば丈を 長くせよ 一寸なれば 一寸の勝 ──

民治丸には少しでも長い刀が必要だった。
使いこなせなければ何にもならないのだが。
命を賭けた仇討ちに、小さな体は言い訳にはならない。
いや、小さな自分だからこそ長い刀が武器になる。
近頃の民治丸は、そう考えられるようになっていた。

剣を構えて対峙する前、まだ刀を抜かず手のうちを見せていない間は、まさかチビの自分がこれほどまでに長い刀を差し伸べるとは思わないだろう。
敵の予想を大きく超え、長い刀を早く抜く。
相手はきっと目算を見誤り、切っ先が喉元に届くはずだ。

その長い長い刀は、去年の夏、寿太郎が渡してくれたものだ。
蝉しぐれの中、いつものように手製の大きな木刀で稽古をしていると、寿太郎がやってきた。
その手には、鈍く光る刀があった。
寿太郎は何も言わずにそれを民治丸に差し出した。
手の汗を拭い、恐る恐る受け取ると、それは予想以上の重さで、民治丸は思わず足を踏ん張り直したほど。
ひんやりとした鞘の感触。
ずしりとのしかかる重み。
みなぎる殺気。
この刀は一体何なんだ……民治丸の顔が険しくなっていった。

「信国だ。三尺二寸ある」

「のぶ……くに」

「どうだ、仲良くなれそうか」

民治丸の手に力がこもる。
この刀とともに我が運命を歩むのか……そう思うと震えてくる。
ゆっくりと鞘から抜いてみる。
美しい波紋が、まるで生きているように動いて見える。
圧倒的な強さと潔さだった。
今度こそ、武者震いがした。
民治丸は刀を鞘に納め、呼吸を整える。
しばし見つめた後、心を決めたように“信国”を両手で丁寧ていねいに持ち、自らの頭の上まで掲げた。
とうれい──その一礼に決意を込め、深く頭を下げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「これですべて整ったな」

「寿太郎さま、ありがとうございます。んでも、これは高価なものでは……」

「心配いらね。代金は菅野さまから預かっているのでな」

「母上さまが?!」

「あぁ。この刀に出会うまで、なかなか手間取ったぞ」

寿太郎は目尻に皺を寄せて笑んでいた。
その顔はとても満足そうに見えたのだが……。

(この人は、本当は何者なのだろう?)

民治丸の心に、いつもの疑問が浮かぶ。
もう2年以上も親しくしてもらっているし、体術の稽古をつけてもらっている師匠なのだが、時折、寿太郎のことが不思議に思えてならないときがあった。
りんと二人、細々と暮らしているように見えて、その実、実態は分からないことだらけなのだ。
実際、この刀はどうやっていつ手に入れたのか。
突っ込んで聞いてみたいが、できない。
寿太郎親子にはある一線から中に踏み込んではいけないような、見えない壁があった。

さっそくその日から、信国との鍛錬が始まった。
最初はまともに刀を抜くことも出来なかった民治丸である。
帯に差すと、体の重心が変わってしまうようで、しばらくは歩くのにも苦労した。
そんなとき役立ったのが、りんと続けてきた稽古だ。
自分でも気づかぬうちに身体の調整能力が高まり、どんなに体勢を崩しても瞬時に平衡状態を保つ能力が備わってきていたようだ。

長い刀を抜くコツもだいぶ分かってきた。
腕で抜くのではなく、半身をつくり、上体を回してひねるように抜くのだ。
さらに左手の鞘を後ろに引くと良いことも分かってきた。
これも寿太郎に教わった扇の稽古が効いていると自分でも思った。
重い木刀で鍛えた腕も、だいぶ力がついてきている。
あとは一日も早く、この信国と一体になることだと民治丸は思っている。
そうして今日まで、いくつかの季節を超えてきたのだった。


「民治丸さま~、今日はこごまでにすっべ~、もう腹減ったは~」

「いやいや、こっからあと100本!」

「かんべんしてけろ~」

「わかった、あと10本だ。いいな!」

「へぇ」

飽きもせず、何時間でも同じことを繰り返す民治丸に、いつも三郎が先に音を上げる。
そこからまたもうひと粘り、これもいつものことだった。
そうやって、一本一本に集中し、刀を抜く。
これだけ鍛錬しても、雪玉を捉えるのは3回に1回だった。
あと9本……8本……7本……。
雪玉が砕かれ、雪煙を上げる。
そのとき、三郎の手が止まった。

「どうした、三郎? 早ぐ! 次!」

三郎は、民治丸のはるか後方を見ていた。
意志を持って真っすぐに近づいてくる大きな人影……それは新太郎だった。
そう、三郎の目を潰した、あの若者だ。
三郎の丸い背中が、かたかたと震えていた。

(つづく)