居合だましい

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第39話 第四章『出立』

峠を抜けて最初の宿場町である、白石宿が見えてきた。
驚いたことに、空はすっかり晴れている。
半分欠けた月が、雲の合間から覗いていた。
幻想的でなんとも美しい春の宵だ。
峠の天気とのあまりの差に、甚助は戸惑い、腹も立った。
だが、宿の小さな明かりを見た瞬間、なぜか胸が熱くなった。

案内された大部屋で、体にくくりつけていた荷物を、ひとつひとつ下ろしていく。
板敷に並べると、相当な量に見えた。
どれも濡れているので、まずは乾かさねばならない。
草履などはともかく、焼き米などの食糧は、酷い状態だ。
はたして、乾いても元に戻るのだろうか。
そんなことを思いながら、ひとつひとつ、荷を改める。
他人と一緒の大部屋で、あまり多くの場所を占領しては悪いと思いつつ、甚助は作業を続けた。

客は他に3組いた。
行商の籠を抱えている者、何やら訳がありそうな二人連れ、そして腰に刀を差した浪人風の男。
皆、こういった宿には慣れているのか、上手に視線が合わない位置に座し、甚助に話しかける者もいない。
……と、思ったのだが。

「やられましたなぁ。峠の天気は油断なりません」

行商人らしき男が、「よかったら、これを」と茶碗を差し出し、にこにこと顔を向けてくる。
礼を言って受け取り、ぐいっとやると、白湯だと思ったそれは酒だった。
一瞬で胃の腑が、かぁっと熱くなる。
飲みつけない酒に頭がくらくらしたが、おかげで冷え切った体に血の気が戻ってきた。

「またずいぶんと沢山持たされましたねぇ。米に、草履に……漬物まである」

「言われるがままに持ってきてしまいました。旅慣れていないもので」

最後に甚助は、腰と、背中にくくりつけてある小さな風呂敷を外した。
その二つは板敷には並べず、寝床にしっかりと置く。
じゃりん、という独特の音が響いて、甚助は慌てて咳払いをした。
これらの金は、旅立ちの前に寿太郎が渡してくれたものだった。
受け取りを必死に辞退する甚助に、寿太郎は優しく、だが否やを言わさぬ口調で言ったのだ。「もともとこれは菅野さまから預かっていたもの。持っていきなさい」と。
大事な路銀を、いざというときのために二つに分けて体に縛りつけておく……と言うのも、寿太郎の助言だった。
甚助は、皆の視線を感じながら、大事な包みを隠すように座した。

「どちらまで行かれるのですか?」

「……京です」

行商人の問いにそう答えたとき、浪人者がちらりと視線をよこしたのを、甚助は見逃さなかった。
すぐに吾知らぬ顔で視線を外したが、京という言葉に反応したのは間違いない。
あの浪人者は京のことを知っているのかもしれない。
自分とは逆に、京からこっちに旅してきたのかも。
だとしたら、聞いてみたいことが山ほどある。
京の都はどんな様子なのか、ここからどれぐらいかかるのか、近道はあるのか、金はどれほど必要なのか、京で人を探すにはどうしたらいいのか。
だが、甚助はそうはしなかった。
今ここで声を掛けてはいけない……そんな何かを男から感じたのだ。
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「そうですか、京の都へ。それはまた、遠くまで」

行商人は、歌うように節をつけて話した。
西国の言葉なのだろうか。
ここらとは違う芝居がかった抑揚に、甚助は戸惑う。

「それにしても、ずいぶん立派な刀ですねぇ。どなたの作で?」

「……信国のぶくにと聞きました」

「おおっ、名刀・信国ですか?! なんと長い太刀……美しいさや! これまで見たこともない代物です。さぞやお高いのでしょうねぇ」

「さぁ、分不相応のものを頂いたので」

「刃紋も美しいのでしょうなぁ」

行商人は、前屈みで顔だけを甚助の腰に近づけ、へぇ、ほぉと感心して見ている。
触りたくてたまらないようだ。
甚助は柄頭つかがしらをぎゅっと握り、決して触れさせないようにした。
信国を手にしてから、片時も離しはしない甚助である。
行商人ゆえの性なのかもしれないが、目の前の男のしつこい視線に甚助はほとほと困った。

「それで、京へは何しに行かれるので?」

「……いや」

「武者修行とか? あ、一度、都を見てみたくなりましたか? お若いからねぇ」

「いや……人を……探しに」

「人を? どなたを?」

答えにきゅうしているうちに、酔いが回ってきた。
目が回るとはよく言うが、本当に目の前のものがぐるぐると回り始めたのだ。

「お侍さま、聞こえてます? どなたをお探しに?」

「──もうそのぐらいにしろ!」

たまらず浪人者が怒鳴った。
その怒鳴り声が、頭の中でぐわんぐわんと響いたと思ったら、その後の記憶はない。
気が付いたとき、甚助は、朝の光の中にいた。
横たえた体には、自分が背負ってきた“濡れたこも”ではなく、温かい着物がかけてあった。
頭が熱い。喉がカラカラだ。
まだ酒に酔っているのだろうか──そう思い額に手を乗せると、部屋の隅から声がした。

「あと一晩、ここで休んでいったほうがいい」

その声は、あの浪人者だった。
見渡すと、他に客はいない。
すでに次の地へと旅立っていったようだ。

「急ぐ旅なのか?」

「……はい」

「だが、先は長いのだろう。最初に無理をすると後から付けが来るぞ」

「……はい。んでも、大丈夫です」

「強情な奴だな」

そう言って、浪人者はあきれたように笑った。
二人きりだから……だろうか。
浪人者の周りに、昨夜の殺気立った空気は流れていない。
むしろ、穏やかな佇まいに、甚助は困惑した。

「朝飯は食えるか? 宿の者に言ってやろう」

「俺が自分で」

慌てて立ち上がり、ふらついた甚助を見て、浪人者はまた笑った。
まるで子供のように無防備な笑い顔だった。
それにしても、昨夜と今、どちらが本当の姿なのだろう。
圧倒的な孤独感と殺気、一転、柔らかく微笑む優しい表情。
どんな風に生きてきたらこうなるのだろう──浪人者が歩んできた人生を甚助は想像する。
きっとどちらも本当の姿なのだ。
そう思い至ると、急に切なくなる甚助である。

「あなたさまはもう一泊されるのですか」

「ここで人と落ち合うことになっておるのでな」

「あの……よければ京の都のことを教えていただきたいのですが……」

浪人者は黙った。
親し気な空気が消え、甚助は口を閉じる。
やはり、聞いてはいけなかったのだ。

(つづく)