居合だましい

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第40話 第四章『出立』

この人も自分と同じかもしれない──ふと、そんな気がした。

我もまた、孤独とともに旅をする。
人を斬るための旅であれば、先々、目つきもあんな風に変わっていくのだろう。
だとしても、もう片方の柔らかさ……優しさも無くさずちゃんと持っていたい。
目の前の浪人者を見て、甚助はそんなことを考える。

昼前に、甚助は白石宿を出た。
荷物は生乾きのものもある。
だが、一刻でも早く、一里でも先に進みたかった。

旅たちの際、浪人者はおかしなことを言った。

「ゆうべの、あの行商人には気をつけろ」

なんのことやら意味が分からない。
何より、あの人はもうここにはいないではないか。
詳しく聴こうと顔を近づけたとき、新しい客が暖簾のれんをくぐりやってきて、浪人者の顔が険しくなった。
どうやら、待ち人が訪れたようだ。
甚助は「またどこかで」とだけ告げ、一礼し、辞した。
この御恩は忘れません、どうかお元気で……と、心の中で続けて。

街道をひたすら南西に進む。
足取りはしごく重い。
まだ少し熱があるのだろう、頭がふわふわとして、地面の一寸上を歩いているようなのに、下半身はなまりのように重かった。
日暮れ前までに、5里半(約22キロ)先の桑折宿まで辿り着くのが今日の目標である。
だが、歩けども、歩けども、調子は上がってこなかった。
わきの下と首筋から嫌な汗が出て、たまに背筋がぞくぞくと震えた。
雨に濡れた体を、冷たい夜風に長時間さらしたせいだろう。
まだ目標の半分も進んでいない。
だが、今宵は皆の助言に従い、早々に宿を決めるつもりだ。

(この山を越えたら貝田宿だ。あと少し……あと少しだけ、がんばろう)

甚助は自分に言い聞かせ、上り坂に踏み入る。
山越えには一瞬迷ったが、好天が背中を押した。
この山道をやっつければ次の宿場だ。
はぁはぁとすっかり上がっている自分の息に、驚く。
やはり、調子がおかしい。
明神の森で鍛えた自分が、このぐらいの坂道に息を上げることなどあるはずがないのに──そう思ったときだった。

傍らの松の木から、人影が一つ、ゆっくりと現れた。
男は口元を布で覆っていて、目元だけしか分からない。
視線は甚助に向けたまま、背中に背負った籠をゆっくりと下ろそうとしている。

(この目……どこかで?)

そう思った瞬間、男は土を掴んで投げてきた。
右手でとっさに避けたが、左目は潰されてしまった。

「うっ! ……なにを!?」

開かぬ目を必死に凝らす。
男は短刀を抜いていた。
明らかに、自分を狙っている。

(何者だ? なぜに俺を)

考えている暇も無く、男が飛び掛かってきた。
体ごと飛び込んでくるのを、ふらつく足元でなんとかかわす。
態勢を立て直す間もなく、二の手が迫った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
機敏な男だ。
男の短刀が続けざまに襲い掛かってくるのを避けるだけで精一杯の、甚助だった。

(これが“忍び”という者なのか?)

目にしたことがないので分からないが、こやつが並の男でないことは分かる。
間合いを取りながら、甚助は叫んだ。

「俺を襲ってどうするつもりだ!? 金目のものなど、ないぞ!」

言い終わらぬうちに、再び男が襲ってきた。
次々に襲ってくるのを必死にかわしながら、甚助は叫ぶ。

「俺はこんなところで殺し合いをするつもりはない! 俺を襲う訳を話せ!」

「その腰と背中に結わえた金をいただく。信国もな!」

「……なに?!」

なにゆえ、この男は金の場所を知っているのか。
なにゆえ、腰の刀が信国だと分かるのか。
甚助はすぐに浪人者の言葉が浮かんだ。

──ゆうべの、あの行商人には気をつけろ──

(そうだ、この目は、昨夜の……)

一瞬、男が消えた。
高く飛び上がり、真上から短刀を突き落としてくる。
甚助は考えるより先に抜いていた。
……ざく。
刹那、鈍い音が峠に響く。
腰の信国が、抜きざまに男の腹を捉えていた。
赤黒い血が土の上に広がっていく。
突っ伏して男が絶命しているのを、甚助は長いあいだ見ていた。

いま、目の前で人が死んだ。
自分が斬ったのだ。
人とは、こんなにもあっけなく、死ぬるものなのか。
指先が震え、力が入らない。

(なにを狼狽うろたえる必要があろう。こやつが先に襲ってきたのだ)

そう言い聞かせるも、手の震えは止まらない。
これは凄いことだ。喜ばしいことなのだ。
これまで鍛錬してきた成果が、きちんと目の前にあるのだから。

だが、甚助は恐ろしさに震えていた。
いま、初めて人を斬った。
肉を裂き、骨を捉える感触が、まだ手のうちにある。

供養してやらねば、と甚助は思う。
男の持ち物だった背負い籠を開けると、中から酒瓶が出てきた。
昨夜、湯呑みに入っていたあの味が、口の中に焼けるように甦った。

(つづく)