居合だましい

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第43話 第五章『宿命の先に』


甚助はひたすらに西を目指して歩いた。
もともと痩せていた体はさらに絞られ、頬が落ちたせいか目玉がぎょろりとし、眼光も鋭さが増している。
故郷を離れ、まもなく、ひと月。
最初の頃は、初めて目にするもの、触れるものにいちいち驚いていた甚助だが、近頃は大抵のことには反応しなくなっていた。
だが、初めて口にするものにだけは、相変わらず驚いてしまう甚助である。
なかには口に合わないものもあったが、今の自分には食べ物を頂けるだけでありがたいと、出されたものは残さず食べた。

出立して早々、ほとんどの金を奪われてしまった甚助は、それこそ行き当たりばったりの旅を続けている。
寺に泊まれば宿代はかからないということも知った。
みな、旅の者には親切で、人は人に助けられて生きているということを日々感じている。
しょぱなつまづいた身に、他人の親切は染み入るようだった。

甚助は一宿一飯の恩義を、自分の体で、つまりは労働力で返していった。
そうやって手元に残ったほんのわずかな金を使わずに旅を続けているのだ。
必然、歩みはぐんと遅くなる。
寄り道をせず真っすぐに進めていたら、今頃は京に着いていたかもしれない。
夜になるたびに、寝床の中でイライラと焦り、あの、おみちとのことを後悔してしまう。
だが最後は決まって、おみちを嫌いになれない甚助であった。

その日も、世話になった寺からの出発だった。
お堂をピカピカに磨きあげた甚助に、住職は朝晩の食事を恵んでくれただけでなく、握り飯まで持たせてくれた。
ありがたさに胸が熱くなる。
包みから、この土地独特の漬物の匂いがこぼれてきて、胃袋を刺激した。
幸せな匂いだ。

住職から教えてもらった話によると、この先、京へ行くには、大きくふたつの行き方があるという。
このまま奥州街道を真っすぐに進み日本橋を経由して東海道に合流するか、ここで大きく西にれて東山道とうざんどう(のちの中山道なかせんどう)に合流するか。
旅をはじめてから、今がまさに、大きな分かれ道に来ているということだ。
どちらが早く京に着けるか──と問うた甚助に、住職はうーんと唸ってからこう答えた。

「どちらの道にも、一長一短がありますな。なだらかで歩きやすいのは東海道。しかし、ひとたび川が増水すれば何日も足止めされると聞きます。いっぽう、東山道は上ったり下ったりと険しい道が多いですが、川で足止めされることはまず無いと聞いています」

住職の言葉で、はらは決まった。
ありがとうございます、と丁寧に頭を下げ、辞す。

(山道は得意だ。それに、これから雨の多い時期に差し掛かる。川の水も溢れるかもしれない。これ以上、足止めされたくはない)
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迷わず西へと曲がる道を選択した甚助は、歩みを早めた。
その頭上、少し空が陰ってきたように見える。
だんだんと野宿するにも平気な季節になってはいたが、さすがに雨はきつい。
都へ近づくにつれ、行き交う旅人の数も増えていたのに、脇道に逸れたとたん、人の姿が消えてしまったことにも心細くなった。
顔を上げ、気持ちを奮い立たせ、甚助は進む。

(なんとしても明るいうちに東山道に合流し、今宵の寝床を確保せねば)

一度も休憩せずに、速足で歩き続けること半日。
歩きながら水を飲み、歩きながら握り飯を齧り、途中、途中、けものみちのような茂みを踏みながら、甚助はなんとか大通りに合流した。
通りの先にちらちらと見える明かりは、きっと宿場であろう。
ここが東山道だと確信した甚助は、ようやく歩みを緩めた。
曇天の空はなんとかもってくれたが、今にも雨粒が落ちそうである。
日没にはまだ早いはずなのに、あたりはすっかり暗くなっていた。
今宵は寺を探すときはないかもしれない。

(どこかの軒下を借りて雨宿りをさせてもらうしかない、か)

そこはやはり東山道の宿場町であった。
それにしても、ずいぶんと活気のある宿場だ。
通りには提灯を掲げた宿がずらりと並び、温かな明かりの中、人々の談笑が通りまで漏れてくる。
煮炊きの匂いや、魚を炙る煙に、甚助は唾をのんだ。
いま、懐の中には最後の金が20文しかない。
宿は一泊24文が相場で、朝飯と晩飯がつく。
どちらかを食べずに我慢すれば、あと一泊だけなら泊まれるだろう。
だが、それを今ここで使うわけにはいかなかった。

(とにかく、どうにかしてまとまった金をつくらねば。先はまだ長いのだ)

そんなことを思いつらつらと歩いていると、雨粒がぽたり、と落ちてきた。

(まずい、急がねば)

きょろきょろと視線を走らせ、通りを歩く。
真ん中あたりまで来たとき、お神狐しんこさまが二体並んでいるほこらを見つけた。

(助かった!)

お辞儀をし、「今晩一晩、頼みます!」と叫ぶ。
小さな祠に飛び込むと、待っていたかのように本降りの雨となった。

その夜、甚助は小さな体を折り曲げて眠った。
小さな祠にすっぽりと包まれていると、なぜか安心する。
お神狐さまの顔が、どこか母上さまに似ていたからかもしれない。
夜半過ぎに雨は激しさを増し、明け方にはすっと引いた。
甚助は冷たい夜をなんとかやりすごし、翌朝、眩い光の中で目覚めることができた。

朝の光の中、思い切り背伸びをする。
ずっと縮こまっていた体が、ぎしぎしと軋んだ。
濡れたお神狐さまは、キラキラと美しい。
いや、昨夜の雨で磨かれたのか、そこら中が光り輝いて見えた。
良い朝だ、と甚助は思う。

通りには、先を急ぐ者たちが、夜明けとともに動き出していた。
甚助も大通りに出る。
どこかで水を飲み空腹を紛らわせ、我も先を急ごうと思ったとき、通りの先で何やら人だまりができているのに気が付いた。

(……水音?)

近づくと、そこには川が流れていた。
ここを渡らねば先へは進めないらしい。
甚助は、人々が何を揉めているのか理解した。

(川が……増水しているのか?! 川止めは困る!)

川止めはまず無いと聞いていたのに。
我はつくづく運の無い男だと肩を落とす甚助である。
だが、それは甚助の勘違いであった。
皆の会話を聞いているうちに、徐々に状況が見えてきた。

(つづく)