居合だましい

MENU

第50話 第五章『宿命の先に』




日暮れとともに風が出てきた。
峠道は右手から左手へゆるやかな傾斜になっている。
緑の柔らかい風が右手から降りてきて、汗ばんだ首筋を抜けていった。
だが今は、その心地よさを味わう余裕はない。
奴らが襲ってくるとしたら、完全に日が暮れた後、逢坂おうさかの関に合流する前の峠道だろうと、風間は皆に告げていた。
隊列の提灯に火が灯り、まさにここからである。

(襲ってくるとしたら、前からか? 横からか? 挟み撃ちになるかもしれない)

甚助は心を落ち着けようと、耳をひらく。
知らずに上がっていた息を深く戻し、明神の森で修行したときのように、冷たい清水の中で心を研ぎ澄ましたときのように、全身の目をひらいていった。

辺りはすっかり闇に包まれ、提灯の火がくっきりと見える。
馬たちも何かを察しているのだろう。
手綱たづなを引く馬の世話役の男衆に鼻面はなづらを擦り寄せたらしく、「よしよし、しっかり前向いて歩け」と声がする。
そのときだった。
林の奥で、馬のいななきがした。
身構える甚助の前に、ぶち毛の馬に乗った茨組のかしらが現れた。

「──茨組だっ!」

甚助のつんざくような叫びが、峠に木霊こだまする。
続いて村の衆も大声を出した。

「きたぞ! 走れ!」

「逃げろ、ほら、いけ!」

馬の世話役は手綱を離し逃げろと促し、自警団は持ち場を離れ、みな一斉に後ろを向いて、権六のいるしんがりへ走る。
かねてより計画していた動きのようで、狼狽うろたえつつも彼らの動きは素早かった。
それに驚いたのは茨組である。
大事な馬を放り出して逃げ出す男衆を見て、下卑げびた笑いを浮かべていた。

「おまえら、なかなか良い心構えだ! そうやって素直に渡せば誰も傷つかねぇからな」

かしらの声が不気味に響く。
頭の横には手下が一人、右手の暗闇からは四人現れ、左手には三人が構えている。
賊の数は、やはり九人だ。
風間が素早く甚助と視線を交わすと、こっちは任せろと言わんばかりに、ゆっくりと体を右手に傾けていく。
甚助はつかに手を添え、左手の三人も視界に捉えつつ、正面の頭と対峙した。

「そこを退け! 殺すぞ!」

頭が甚助に向かって凄んだときだった。
ひゅんっという音とともに、最初の火矢が放たれた。
狙ったのは賊ではない。
馬の足元へ、峠道の右手に沿って火矢は次々に放たれた。
馬はいななき、左手に逃げる。
世話役の村の衆はハラハラと見守り「うまく逃げてくれ。きっとおらたちのところに戻ってきてくれ」と祈るようにつぶやいている。
あわてて馬を追い駆けようとする賊を、今度は投石が襲う。
後方から男衆が投げたのだ。

「くっそ……やっちまえ! 皆殺しだ!」

その声を合図に賊が一斉に斬りかかる。
だが、男衆も負けてはいなかった。
男衆は素早く後方に移動した後、三つの隊に別れていたのだ。
ひとつは、火矢をつくって権六に渡す者たち。
ひとつは、戸板を持ってぐるりと壁をつくり、権六と仲間を囲む者たち。
ひとつは、その内側から投石で敵に応戦する者たち。

空いた空間で、甚助と風間は自由に動き、一人ずつ賊を倒していく作戦だ。
点々と道に落ちた火矢の明かりのおかげで、視界も明るい。
右手を守る風間が、まず一人斬った。
相手の懐に飛び込み、小太刀で一太刀……あっという間だった。

左手を守るのは甚助だ。
馬を捕まえ損ねて苛立っている賊が、歯ぎしりしながら飛び掛かってくる。
甚助はぎりぎりまで間合いを待って、刀を抜き上げた。
抜きざまに一人の肚を裂き、返す刀でもう一人の腕を飛ばす。
残るは六人。

風間はさらに一人斬り、権六も火矢から弓矢に持ち替えて一人を仕留めた。
残るは四人。

賊は、目障りな権六の弓矢を潰そうと後方に矛先を変えた。
だが、男衆の見事な連携で容易に近づくことができない。
逆に石をくらって悲鳴を上げている。

風間が向き合っている相手は、どうやら一番の使い手のようだ。
八双の構えには隙がない。
これは命のやり取りになる……うかつに動けず、一対一の睨み合いは続く。

頭を含む残り三人は、すべて甚助に矛先を向けた。
弓矢で助太刀したくても、四人の動きが速すぎて、権六もうかつに矢を放てない。
甚助と風間、この二組の戦いを、村人たちも息を呑み見守っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
だが、ついに甚助の足が止まった。
馬上の頭と手下、三人にすっかり囲まれてしまったのだ。
強引に手下の間を突破しようと動いたとき、何かに足を取られ甚助は膝をついてしまった。
体勢を立て直す間もなく、頭上で何かが光った。
馬上から振り下ろされようとしている刀に、月の光が反射したのだ。
絶体絶命……死を覚悟したそのときだった。

「うっ……」

かしらがうめき声をあげ、落馬した。
風間が投じた小太刀が、頭の眉間を捉えたのだ。
ひたいを割られ絶命したかしらを見て、生き残った二人は、うのていで逃げていく。
さきほどまで風間が対峙していた剣豪も、突っ伏してこと切れていた。
静まり返った戦場に、男たちの息遣いだけが残る。

「……勝ったのか?」

囁くように誰かが言った。

「あぁ、勝ったんだ」

権六がいつもの声で答えた。

「……勝った……勝った……勝ったぞ!」

噛みしめるような悦びの声が重なり、いつしか歓声になる。
仲間を一人も死なせず、賊を撃退できた喜びに、皆は沸いた。
だが、大事な馬たちはもういないのだ。
空を見上げると、満月はだいぶ上まで上っていた。

「間に合うだろうか」

息を整え、風間が呟く。

「はい。きっと大丈夫です」

甚助はそう答え、風間の傍らに立つ。

「風間さま。助太刀、ありがとうございました」

風間は少し頬を緩めただけで、すぐに視線を外した。
遠くを見る目がまるで別人のようで、甚助は戸惑う。

ほどなくして、ゆらゆらと揺れる明かりと共に、馬の隊列が峠道を上ってくるのが見えた。
先頭には北山半きたやまはん衛門えもん、脇を固めるのは今朝ほど見送ってくれた村の衆たちだ。
今朝、甚助たちと出立した馬より、さらに美しい馬たちが八頭、月光を浴びながら艶めくように輝いている。
つまり風間は、替え玉……いや、替え馬を立てたという訳だ。

今朝ほど、甚助たちと一緒に出立したのは、偽の献上馬だった。
偽とはいえ、大切な馬には変わりはないが、今年献上する予定の馬ではない。
先ほど逃がした馬たちが、ちゃんと牧場まきばに戻ってくるかどうかは、ひとつの賭けだ。

甚助たちと合流した北山は、道端に倒れている賊の屍を見、深くお辞儀をした。

「あなた方は恩人です。この御恩、決して忘れません」

「さぁ、急ぎましょう。逢坂の関まであと少しです」

風間の一声で、隊列が整い、再び歩き出す。
月光に照らされて、馬たちが艶やかに輝いていた。
誰からともなく馬子唄が始まり、峠道に響いていく──。



その日、甚助は、馬のいななきと人々の歓声で目が覚めた。
無事に逢坂おうさかこまむかえの儀式を済ませ、北山半左衛門の屋敷で感謝の宴が催された翌朝のこと。
なんと、峠で手離したすべての馬たちが牧場に戻ってきたのだ。
村の衆は皆大喜びで、嬉しそうに馬の腹を撫で、鼻と鼻とを擦り付け合った。
穏やかで、美しい朝だ。
甚助は、目の前の光景を、ひとつ、ひとつ、焼き付けていく。
村の衆の笑顔。
牧場の匂い。
軽快に駆ける馬たち。
母馬に甘える仔馬。
人々の笑い声……。

昨夜、逢坂の関で見た荘厳な景色も重なり、甚助の胸は熱くなる。
美しい泉に映った満月、朝廷からの使者たち、手塩にかけた気品高き名馬たち……。
そんな儀式の場に自分が関わっていたことを未だに不思議に思う甚助である。
この感慨を仲間と分かち合いたいのだが、今ここに風間の姿はない。
報酬を受け取った後、消えてしまったのだ。

飲めない酒を飲んだせいか、長い緊張から解き放たれたせいか、甚助の昨夜の記憶は途切れ途切れだ。
ただ、安心して眠りについたことは覚えている。
酒宴の中心にいる風間を見て、この土地から離れない理由が少しだけ理解できた気がして、風間に絡んだ気もする。
「──でも自分はここに留まる訳にはいかないのです! 宿敵、坂上主膳を倒しに、一刻も早く京に向かわねば。風間さまも一緒に行きましょう! おれを連れて行ってください!」そう叫んだ後、倒れるように眠ってしまったのだと、権六が教えてくれた。

風間はあのとき確かに、「あぁ」と言った気がする。
だが、甚助が目覚めたら、すでに一人で旅立っていた。
権六に一言、伝言を残して。

「お前が探している坂上主膳は、京の仁和寺にいる」

風間は、我が宿敵を知っていたのか。
だとしたら、なぜ今日まで何も言わなかったのか。
初めは驚いた甚助だが、だんだん腹が立ち、しまいにはその言葉を信用していいのかさえ分からなくなる。
それでも今の甚助は、その言葉を頼ってみるしか当てはなかった。

(これ以上、ここに留まる理由はない。今すぐに、ここを発たねば)

その気持ちは権六も同じようで、黙って身支度を整えている。

「甚助よ、短い間だったが、楽しかったぞ。またどこか、旅の空で会おう」

権六は、痩せた指で甚助の肩を撫でた。
甚助も、この一礼に思いを込めて別れを告げる。
東山道を、権六は北へ、甚助は南へ。
互いに振り返らず、二人は進む。

(つづく)