居合だましい

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第51話 第五章『宿命の先に』




(これが都……なんというにぎやかな! 一目、母上様に見せてあげたい。そうだ、三郎! あいつがここを見たら、なんというだろうなぁ)

東山道をひたすら南西に歩き、甚助は念願の京に着いていた。
首が痛くなるほど上を向いたり横を向いたり、お上りさん丸出しで歩いている。

北山半きたやまはん衛門えもんの屋敷を出てから、京までの道のりは至極しごく順調だった。
用心棒の報酬でふところは温かく、食うのにも寝るのにも困らない。
贅沢ぜいたくはしていないが、一日二回、温かいものを食べ、ちゃんと屋根のある場所で眠ることで、体調はすこぶる良い。
でもひとつだけ……時折、心に吹き込む冷たい風が痛い。
ついこの前まで、毎日毎夜、仲間と語り合い日々を過ごしていたのに、今は完全に一人なのだ。
同志……志を同じくする仲間との温かな日々を、甚助は知った。
それは初めての経験で、互いに命を預け合い、支え合う貴さを知ってしまったのだ。
仇討ちのための孤独なこの旅で、仲間などつくるものではない。これからは一層引き締めていく──そう心に決めても、ふと寂しさが込み上げる甚助だった。

それにしても、風間はどうして先に出立してしまったのだろう。
別れの挨拶などは苦手な性質たちだというのはなんとなく予想ができる。
豪傑ごうけつに振る舞ってはいるが、あの人はこまやかな人だと甚助も権六も気付いていた。
人から真っすぐに感謝されたり、なつかれたりするのも苦手であろう。
長いときを共に過ごすなかで、感じたことだった。
ある日、風間とたわいもない会話を交わしていて、ふと思ったことがある。
もし父上が生きていたら、こんな感じなのだろうか、と。

「父上が生きていたら……」

つい、思いが溢れる。
宿敵・坂上主膳の手掛かりは、もうすぐそこにあるはずだ。
甚助は、風間が言い残した仁和寺と言う寺を探し歩いているのだが、都には人が溢れ、立派な寺院がそこここに建っていて、なかなかに苦戦していた。
端から順に聞いていこうかと思ったが、こんなにたくさん寺があったら、いつ見つかるかも分からない。
弱気になりかけたとき、茶屋の主人がその場所を教えてくれた。

「仁和寺ならこの先の角を曲がって真っすぐいったところです。でもお侍さま、もうだいぶ前に焼けてしまいましたよ」

聞けば、応仁の乱のとき、東軍に火を放たれ焼失してしまったということだった。
驚き、消沈する甚助だが、それでも肩を落としている場合ではない。
手掛かりはそこしかないのだ。

通りを一歩進むごとに、甚助の鼓動は早まった。
幼き頃より、憎み続けた宿敵がすぐ目の前に迫っているという予感に、一人、身震いする。
寺があったであろう場所はすぐに分かった。
本殿は見当たらないが、門があったのだ。
かなり前に焼かれたと聞いたが、それ以前はきっと大事にされていたのだろう。
敷地の草木は美しく整えられており、今でも人の手がちゃんとかかっているということが分かる。
野山の樹々とは違う、人の手がかかった草木の美しさだ。
誘われるように、奥へと進んだときだった。
一本の松の木の前に、見覚えのある大きな背中があった。

「……風間さま?」

甚助の声に、大きな背中が振り向く。
やはり、風間じん衛門えもんであった。

「よぉ、甚助」

いつもの、ひょうひょうとした調子で風間は返す。
まるで友を待っていたかのような口ぶりだ。

「風間さま、どうしてここに?!」

「おまえを待っていた」

「ひどいですよ! どうして黙って先に行ったんですか!? 村の衆も悲しんでました。いや、怒ってましたよ!」

「まぁ、そう言うな」

風間は甚助の視線を外し、松の木を見上げる。
少し会わないうちに、その横顔はひどく面やつれして見えた。

「あの……風間さま。風間さまは、坂上主膳を御存じなのですか?」

「まぁな」

「──! だったら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか?!」

風間は答えず、木立の奥へと歩き出す。
慌てて甚助も続いた。

「そいつは今、どこにいるんですか?! 教えてください!!」

大きな背中に追いすがり、声を殺して甚助は叫ぶ。
風間はなおも答えず、思わせぶりに微笑むだけだ。

少しして、木立に囲まれた人気のない場所まで来たとき、風間は急に立ち止まった。
甚助に顔を向け、こう言ったのだ。

「ここにいるぞ、甚助」

「え?」

「坂上主膳はここにいる」

「な! こんなときにまで戯言ざれごとを言わないでください」

「いや……そうではない。本当のことなのだ」

「──まさか──」

風間の顔から微笑みが消えた。
目の奥に、なんとも言えない悲しみと、殺気が見える。
そこに立っているのはもう、甚助の知らない男だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
甚助は思い返していた。
宿敵・坂上主膳について、幼き頃より、自分が知っていることすべてを。
体が大きい、背の高い男だということ。
父上を背後から襲った卑怯者ひきょうものだということ。
その後、城から姿を消し、行方が分からないこと。
京で姿を見かけた者がいるということ。
考えれば、どれもばくとして具体的なものはない。
甚助は長い間、憎きかたきの姿かたちを想像して生きてきた。
思い描いていた男と、いま、目の前の風間は、まるで繋がらない。
甚助はひどく混乱した。

「にわかには信じられぬ、か。まぁ、無理もない。俺だって……いや、よそう。果し合いの前にする話ではない」

「風間さま!」

「ちがう! 俺は坂上主膳だ! 最上家に仕えていたときは、そう名乗っていた」

「……おれは信じません」

「おまえの父の名は、浅野数馬……明神の森で、俺が斬った。あの日は、初雪が降ったな」

甚助の鼓動が早まる。
あの日の光景が一瞬で甦った。
うっすらと雪が被った父のしかばねと、赤い紅葉のように点々とこぼれる血。
冷たくなった父の体に、何度も何度も声をかけた、幼いあの日。

「甚助、おまえは、あの幼かった民治丸なのだな」

「──あなたが坂上主膳──本当なのですね」

みるみる、甚助の頬が染まる。
驚きを越え、悲しみを巻き込み、怒りは渦のように甚助を苦しめた。
混乱する頭を振り、必死で相手の目を見返す。
震える唇で、絞り出すように、甚助は言った。

「……なぜ父上を殺した」

「忠義のためだ。それ以上でも以下でもない」

「忠義? あのような卑怯なやりくちが、あなたの忠義の証ですか?!」

「言い訳はせぬ」

風間は、いや坂上主膳は、真っすぐに甚助に対峙した。
静かに小太刀の柄に手を添え、覚悟を持ってそれを抜く。

「甚助よ、さぁ、抜け! おまえは、物心ついてよりこれまで、長いときをこの日のために賭けてきたのであろう。今がそのときぞ!」

甚助は動かない。
いや、動けなかった。

「抜け! 甚助!」

「……いやです」

「抜かぬなら、こちらからいくまで」

風間は言い終わらぬうちに、小太刀を手に斬りかかってきた。
とっさに左にかわしたが、その一太刀で風間が本気で殺しにきていることが分かる。

「抜け! 甚助!」

「いやです!」

「仇討ちとは、やるか、やられるかだ。悪いが俺はまだ死ぬつもりはない」

言いながらも、坂上主膳の構えに隙は無い。
じり、じりっと、間合いを詰めにかかっている。
坂上主膳は小太刀の使い手である。
長い刀を持つ甚助のふところに飛び込むことができれば圧倒的に有利だ。
甚助は逆に、ある程度の間を保ち、一刀いっとうそくで勝負を決められる間合いをはかる。
互いの呼吸を読みつつ、ぎりぎりのやりとりは続く。

「ではなぜ、あのとき、おれを助けたのですか?!」

茨組との激戦で、命を救ってくれたのは主膳である。
主膳は片方だけ口角を上げ不敵に微笑むと、戸惑うばかりの甚助に、素早い動きで二の手を出した。
すんでのところで右にかわしたが、続けざまに三の手の突きがきて、左腕を斬られてしまった。
ぽたぽたと血が流れ、地面を染めていく。
主膳が唸るように言った。

「甚助よ、覚えておくといい。悪には悪の、正義があるのだ」

言い終わるや否や、主膳が飛び込み、小太刀が眼前に振り下ろされる。
考える間はなかった。
刹那せつな、甚助は左半身ひだりはんみを強く引き、上体をひねって信国を抜いた。
そのまま思い切り斬り上げる。
おかしなことだが、そのとき、すべてのものが止まっているように見えたのだ。
ただ、信国が描く刃の道だけが、ゆっくり、ゆっくり、動いてゆく。
気が付いたとき主膳は、がくりと膝をついていた。
わき腹から胸にかけ逆袈裟ぎゃくけさに真っ赤な道をつくって。
勝負はあった。

地面に倒れた主膳は、最後の力を振り絞るように甚助を仰ぎ見た。
その目は、甚助がよく知る陽気な男のそれだった。
唇がわずかに開き、何かを言おうとしている。
声にならないその声は、「生きろ」と甚助には届いた。

宿敵、坂上主膳は死んだ。
その死に顔に、小さな雪の粒がひとつ、またひとつ降りてくる。
あの日と同じ、冷たい雪だった。
雪に覆われていく死に顔が、なぜか幸せそうに微笑んで見え、甚助の心を波立たせる。

これで、胸を張って故郷に帰れるはずなのに。
あれほど待ち望んだ、人生のすべてを賭けてきた仇討ちを遂げることができたのに。
いま、甚助は泣いていた。
なんのための涙なのか、自分でも分からない。
本願成就の涙か、悲しみの涙か。

ただひとつ言えるのは、今、己の中の“なにか”も一緒に死んでしまった気がする。
それは、幼き頃から憎しみの中で生きてきた“民治丸”かもしれなかった。

どこかで鐘が鳴っている。
人生の区切りを告げるような、いや、鎮魂の鐘のような、深く切ない響きであった。

(つづく)