居合だましい

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第52話 終章『名残の雪』




菜の花が一面に咲き誇る川べりで、甚助は故郷の山々を眺めている。
陽がぽかぽかと降り注ぎ、雪解けの水もぬるみそうだ。

「ねぇ、民治丸。茨組との話、もっと聞かせてよ」

「民治丸ではない。甚助だ」

「はいはい、甚助さま。じんちゃんって呼ぼうかな。それじゃあ、じじさまみたいか」

何がそんなに可笑しいのか、りんは一人、ころころと笑い転げている。
さっきから白い蝶がやってきて、りんの結わえた髪に止まったり飛び立ったりしているのが、甚助は気になってしょうがない。

「すっかり春だね」

「あぁ」

こしきだけの山桜も、つぼみがふくらんでたよ」

「母上さまと一緒に……見たかった。大好きな団子や、久持くじもちもいっぱいつくって……少しの贅沢もさせてやれたのに」
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甚助が急ぎ林崎村に戻った時、村はもうすっかり雪に包まれていた。
その年はいつもより降雪が早く、あと半月遅ければ峠は越えられなかっただろう。
無理をしてでも急ぎ戻ったことが、結果的には良かった。
菅野は、秋口から体調を崩し、雪が降りる頃には寝込んでしまっていた。
三郎も、りんも、寿太郎も、神主さまも、なんとかして元気づけようと力を尽くしてくれたが、春を待たずに菅野は天に召された。

「菅野さまは、幸せだったと思うよ。この冬を民治丸とともに過ごせて、ほんとに幸せだったと思う。何より、あんたは一番の親孝行をしたんだ。父上様の仇討ちを見事果たして……誇らしかったと思う」

「結局おれは、何をしたかったんだべな」

三郎の片目を潰し、母の命を縮めてまで果たした仇討ちなのに、心の中にはどうしようもない虚しさがあった。

坂上主膳は甚助に文を残していた。
着物のあわせから出てきた長いふみには、浅野数馬闇討ちに至る経緯いきさつが書いてあった。
結論から言えば、甚助の父・浅野数馬は、自分には直接関係もない、伊達だて家のお家騒動に巻き込まれただけだった。
天文11年、伊達氏当主・伊達たねむねと嫡男・晴宗はるむね父子の間に内紛が起こった。
俗に言う天文てんぶんの乱だ。
甚助が産まれた年に起こったこの争いに、北国中が巻き込まれ、当然、最上家も巻き込まれた。
当初は稙宗方についていた最上家だが、晴宗方に寝返る動きも出てきて、情勢は刻々と変化していた。
甚助の父が仕える楯岡城も、最上家とともにあらねばならない。
万が一にも、異を唱えるものが現れては困る……殿様の側近だった甚助の父を、快く思わない最上家からの使者たちに、甚助の父は暗殺されたのだ。
坂上主膳は、自らの主君のめいを受け、ただ実行しただけだった。

「──後悔はしていない。人に仕えるとはそういうことだから。ただひとつ、心残りがあるとすれば、我は誰にも仕えず、我の心にのみ従い、生きてみたかった」

文にはそう綴られていた。
神主さまには、「どうしてそのことを楯岡の殿様にお伝えしないのか」と何度も聞かれた。
でも甚助は、城に上がり、そのことを報告するつもりはない。
仮にそんなことをすれば、誰かと誰かが、いがみ合うことになるだろう。
直接関係のない者……弱き者たちがまた巻き込まれるのだ。
思えば、坂上主膳も力弱き者だったのかもしれない。
主君の命に従ったのに、その主君は保身のために主膳を裏切った。
口封じに殺されそうになった主膳は、城を捨て、逃げたのだ。

今になって、主膳の言葉が胸に突き刺さる。

──どうせ忠義のために人を斬るなら、信頼できる者たちのために斬ろうと思ってな。

縁もゆかりもない信州の地を、命がけで賊から守ろうとした主膳である。
ここが俺の居場所、とも言っていた。
あのときのあの言葉を、主膳はどんな気持ちで口にしたのだろう。

──誰にも仕えず、我の心にのみ従い、生きる。

甚助は、自分もそうありたいと強く思うようになっていた。
そのためにはこれから何を学び、どう生きればいいのか。
答えは、そう簡単には出そうにない。

だが、ひとつだけはっきりと言えることがある。
それは、この土地を離れなければ……ということだ。
世の中は広く、自分はまだまだ修行が足りない。

母上様はもういない。
この村にも、お家再建にも、未練はなかった。

「出ていくんでしょ?」

「……りん……」

「あたし、あんたが好きだよ」

「え」

「それでも、行くんだよね」

りんが微笑んでいる。
可愛らしい目だ。
気を抜くと吸い込まれそうになる。
純粋で温かく、嘘のない目だ。
その目に向かって、甚助は精一杯の告白をした。
自分の心に浮かんでいる、もやもやとした気持ち……整理もつかない、結論もない気持ちを、ただ素直に口にした。

──おれはこの旅で、初めて人を斬った。たくさん、たくさん、斬った。
初めて人を斬ったとき、恐ろしさに手が震えて……こわくて、こわくて……熱を出した。
でも、次に茨組を斬り倒していったとき、なんていうか……別の怖さが襲ったんだ。
おれは、怖くなかった。
手も震えていなかった。
そのことが、怖かったんだ。

人をどれだけ斬れるか……どうやって殺すか、朝から晩までそのことばかりを考えて、仲間と共に、悪い奴らを討ったつもりだった。
村の人たちに感謝され、得意にもなった。

でも……旅の最後は……心を許し、初めて同志だと思った人を……斬った。
同志だと思っていたその人は、ずっとずっと憎んで、人生のすべてを懸けて殺そうとしていた男だった。
その男も……ただ、誰かの役に立ちたくて、父上を斬ったと知った。
おれの中で……何かが壊れてしまったんだ。

どうして人は刀を持つんだ、りん?
風間さまを……いや、坂上主膳を斬った時……なんでか、この刀が……信国が泣いているように思えたんだ。
信国と一緒に……ずっと共に旅をしていて、この刀が人を殺すためにつくられた道具だと気が付いたとき、おれは怖くなったんだ。
この刀を、このまま腰に差していていいのだろうか、って──。

「その答えを探しに行くんだね」

りんが微笑んでいる。
まぁるい目に、涙をいっぱい溜めて。
深く、深く、どこまでも澄んだ栗皮色の瞳は、あの逢坂の関で見た満月の泉のように美しかった。
見つめられると何も考えられなくなる。
いいんだよ、すべて分かっているから、大丈夫……そう言ってくれているかのようだ。

二人は唇を重ねた。
初めての温もりなのに、なぜか懐かしさが込み上げた。
重なり合う二人に、名残の雪が降りる。
それは山桜の花びらが落ちてきたかのように柔らかだった。

(完)