居合だましい

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◎居合とは……

今から約450年以上も前に生まれた武道です。
そのはじまりは林崎甚助源重信公の抜刀術になります。

「居合(いあい)」という言葉は「居合わす(いあわす)」が語源とされており、「立合(たちあい)」に対しての言葉です。
「立合」とは、戦う者同士が距離をとり、刀を抜いた状態で向き合い、戦い始めるのを言います。言い換えれば、お互いに戦う準備(心構え・体勢)をした上での戦いです。
「居合」はこの逆で、『戦う準備をしていない状況で、敵に襲われた場合の術』になります。ですからその特徴は、刀が鞘に収まっている状態から抜刀(刀を抜く)して攻撃するところにあります。
『その場に居たまま(日常・平静)の状態にありながら、敵が打ちかかってくるのに応じて瞬時に抜刀し、これを倒す』ために『居合』と言われるようになったそうです。
古くは「抜刀」と書いて『いあい』と言っていたという説もあります。現在も「抜刀術(いあいじゅつ)」と呼ぶ流派もあるようです。

◇居合の稽古

居合は古くから伝えられてきた『型』を稽古します。
礼儀作法から始まり、自分で敵を想定して、決められた型の動きを稽古することで体の使い方や刀の扱い方、どこに注意を向けるべきか、など学んでいきます。
『型』には沢山の教えが詰まっています。
その歴史は数百年に及びます。

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◎林崎甚助源重信公

1542(天文11)年、父浅野数馬重治、母菅野の下に生まれました。幼名は民治丸。
幼少の頃に父が暗殺され、父の仇を討つために剣術の稽古に励みましたが、上達は思わしくなかったそうです。それでもとにかく稽古を続け、1556(弘治2)年に林崎明神に百日参篭して抜刀の神伝を授かります。
1559(永禄2)年、さらに稽古を積み抜刀の妙を悟り、元服して林崎甚助重信と名を改め仇討ちの旅に出ることになりました。
1561(永禄4)年、京都にて仇討ちを果たして帰郷することが出来ました。愛刀であった『信国』を林崎明神に奉納します。
1562(永禄5)年、母が病により亡くなります。重信は再び剣を抱いて旅に出ました。
この後、重信公は日本全国を旅しながら多くの門弟を育て、居合術を広く伝えていったそうです。
現在は生まれ育った山形県村山市にある熊野居合両神社(通称:居合神社)に祀られています。


◇宝刀「信国」

林崎甚助重信公が仇討ちを果たした刀です。
刀身は三尺二寸(96.96cm)とも三尺三寸(99.99cm)とも伝えられており、とても長い刀です。
重信公は故郷の林崎村に戻ると林崎明神に「信国」を奉納しました。
現在「信国」の所在は分からなくなっています。


※現在、居合道で使用する刀の長さは、身長175cmくらいの男性で2尺4寸(74.235cm~5寸(75.75cm)くらいが一般的です(流派により違いはあります)。
重信公の生きた戦国時代は日本人男性の平均身長は160cmほどでした。「信国」のような長い刀は、刀と身長の比率からすると2mくらいの大男が使うイメージでしょうか。
「信国」を腰に差して使いこなすにはどれほどの修練を要したことでしょう。